【オルタの視点】

電脳監視社会
スノーデン事件と映画『スノーデン』から見えてくるもの

大原 雄


 スノーデン事件は、今も続いている。スノーデン事件とは、2013年6月、アメリカの国家安全保障局(NSA)がテロ対策として極秘に大量の個人情報を収集していたことを、アメリカの中央情報局(CIA)元職員(当時は、NSA外部契約スタッフ)のエドワード・ジョセフ・スノーデン(以下、敬称略)が告発した事件。

 CIAは、「ヒューミント(ヒューマン・インテリジェンス)」の諜報活動をする。
 NSAは、「シギント(電子通信機器を駆使)」の諜報活動をする。

 スノーデンは、テロ監視(傍受盗聴)という「名目」で個人情報を収集・検索するシステム「エピックシェルター」や極秘監視プログラム「PRISM」がNSAで使われていると暴露することで、アメリカ憲法への違反とデモクラシー侵害への警鐘を鳴らした、と言える。

 2013年6月、アメリカのワシントン・ポスト紙やイギリスのガーディアン紙は、アメリカの国家安全保障局(NSA)が、アップルやグーグル、フェイスブック、マイクロソフトなど、いずれもアメリカの大手IT企業が提供する9つのネットサービスのサーバーに直接アクセスして、ユーザーのメタデータ(記録)を収集する「PRISM」(ネット・電話を傍受盗聴する極秘通信監視・情報収集検索プログラム)という取り組みを行っていると相次いで報じた。アメリカ政府の「PRISM」の存在が初めて明るみに出たのだ。
 翌9日にはスノーデンがニュースソースであることを、本人自身が顔と実名を出して公開し、ガーディアン紙がWebサイトに、そのインタビューの模様を動画でアップした。その結果、スノーデンは、アメリカの捜査当局の手を逃れ、最終的にはモスクワに逃亡し、現在もモスクワに滞在している、と言われる。諜報活動取締法違反などの容疑で訴追されている身なので、身柄を拘束されれば、アメリカに強制的に送還され、裁判にかけられ、場合によっては死刑もありうるという状況が、現在も進行形だということだ。

◆◆ 映画『スノーデン』

 コンパクトながら、スノーデンと事件の流れを整理すると、以下のようになる。

 1983年6月、エドワード・ジョセフ・スノーデン(以下、スノーデン)が生まれる。
 私(大原)の息子より、1歳年下なので、「実感」がある。
 2003年、米軍の特殊部隊に入隊したが、脚の怪我で除隊。
 2004年、アメリカの中央情報局(CIA)職員に採用される。
 2006年、アメリカ・バージニア州のCIA訓練センターに入所。交流サイトで、将来の「伴侶」となるリンゼイ・ミルズと知り合う。
 2007年、スイス・ジュネーブにあるアメリカの国連代表部へ派遣される。NSAの個人情報傍受監視・収集検索するシステムを目の当たりにし、自分の職業、日常業務が犯罪ではないか、と次第に疑問を持つようになり、CIAを辞職する。

 2008年、民主党のオバマが大統領に当選する。共和党から民主党への政権交代。オバマ大統領は、「わが政権が目指すのは、情報を隠すことなく公開する政治だ」と公約した。
 2009年、民間のIT企業の契約スタッフとなる。NSAでの仕事が下請け業務として回ってくる。スノーデンは、政権交代とオバマの公約に期待して、派遣先の東京・横田基地に赴く。NSAの個人情報傍受監視・収集検索するシステムは、テロ防止の枠を逸脱し、個人情報の侵害へと、さらに「進化」しているのに驚く。極度のストレスから、次第に、体調に変調をきたすようになる。

 2012年、リンゼイとともに、ハワイ・オアフ島のNSA工作センター(「クニア地域シギント・オペレーション・センター」、通称「トンネル」)に赴任。スノーデンは、ここで、さらに高度の情報アクセス権を付与され、中国のサイバー活動の監視任務に就いた。スノーデンは、次第に自分たちの私生活もCIAに監視されていると察するようになり、リンゼイを含めて、従来からの生活を捨ててでも、アメリカを告発する決意を固めるようになる。
 2013年、ハワイから香港に移ったスノーデンは、祖国告発の行動に実名で踏み切る。

◆◆ 映画『スノーデン』は、ドラマか、ドキュメンタリーか

 映画『スノーデン』は、ドキュメンタリータッチのドラマと言えるだろう。
 この映画には、二本の柱がある。

 1)スノーデン事件の骨格は、ドキュメンタリータッチで映像化され、描かれて行く。
 2)スノーデンとリンゼイ・ミルズという若い男女の恋愛と信頼、人間的な成長物語でもある。
 この柱が、真摯なドラマを支え、「事件」を起こすスノーデンの動機解明(「なぜ、私的なものの全てを捨ててまで国民を監視する国家権力の違憲行為の告発へ向かうのか」)を判りやすくしてくれる。リンゼイという、反権力的、反権威的な、オバマ支持のリベラルな少女は、その人間的な魅力で、愛国心の強い模範的な国家公務員であった青年を精神的にも虜にする。NSAでの日々の業務自体が違憲的な行為、「犯罪行為」だと気がついたスノーデンは、精神的な発作を起こすようになる。一緒に暮らしていたリンゼイが、スノーデンの精神的な正常さを支えてくれたようである。

 この映画は、国家権力は、デモクラシーという普遍的な原理に忠実に生き、真実を話すべきだと気がついた人間を脅すだけではなく、犯罪者として訴追さえするものだということを私たちにも判らせてくれる。したがって、この映画は過去の「スノーデン事件」を描いているだけではない。オバマから大統領職を引き継いだトランプが、大統領特権を振り回して、就任以来毎日のように真実を伝えようとするマスメディアをフェイクニュースだと決めつけて脅している、という極めて今日的な状況を観客に容易に彷彿とさせてくれる。そういう意味で、この映画は、まさに、いま、ここでこそ観なければならない映画だと言えるのではないか。

◆◆ どこまでが、ノンフィクションか、フィクションか

 私は、スノーデンものの資料をきちんと読んでいるわけではなく、映画『スノーデン』を軸にこの事件を見ているだけだ。だが、いくつもフィクションの部分があることには気がつく。スノーデンによる極秘データの持ち出しは、映画では、ルービックキューブにUSBドライブを組み込んで、ハワイのNSA工作センター検問所を突破し、外部に持ち出したように描いているが、実際には、一括持ち出しなどの危険な手は使わずに、スノーデンは2012年4月から1年間かけて少しずつデータを持ち出しているとか、マスメディアへのリークの場面も映画では、ガーディアン紙一紙に象徴させて描いているが、実際には複数紙に相次いでリークしている。

 NSAの幹部コービン・オブライアンという元上司が、スノーデンの精神的な変調時に大写しされる映像が出てくるが、オブライアンは、オリバー・ストーン監督らが創作した実在しない人物だ。オブライアンという人物は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の登場人物から名付けられている、という。オブライアンは、全体主義国家の幹部というキャラクターで、洗脳と拷問でスノーデンを苦しめる、というわけだ。映画は事実のピース(知りえた事実であっても、訴追されているスノーデンの事情を知っているオリバー・ストーン監督としては、すべての事実をスクリーンに描き出すことも、当然のことだが、できないだろう)と創作のピースをないまぜにして、ジクソーパズルを完成させるように、映像的におもしろく誇張して描いている部分もあるだろう。監督と共同脚本を書いたキーラン・フィッツジェラルドは、ストーリーの中に幾つかのフィクションを埋め込んだ、語っている。

 しかし、この映画は、ドキュメンタリータッチの映画として、ノンフィクションにフィクションの味付けをしながら、本質的な部分、あるいは構造的な部分では、「事実」(ファクト)ではないけれど、「真実」(トゥルース)の根源を持つノンフィクションとして、現在の電子機器を駆使した諜報活動(私がその実態を知っているわけではないが……)をリアルに描いているのではないか、と直感的に感じた。オリバー・ストーン監督は、2014年1月から3月までの間に、モスクワでスノーデンとは3回逢って話を聞いた、という。最初は、スノーデンの名前を出さずにフィクションなドラマで映画化を考えていた監督だが、3回の面談を経て、スノーデンの実名を出し、ノンフィクションのドキュメンタリータッチの映画にすることを決めた、という。スノーデンも監督への協力を約束した、という。

 オリバー・ストーン監督は、撮影していて危惧したのは、ドキュメンタリータッチの映画としてNSAの職場をいかに再現するか、また、NSAからの撮影への妨害や干渉行為があるのではないかということだった。

●NSAの職場の再現について。
 脚本をまとめたのは、オリバー・ストーン監督と脚本の共同執筆者のキーラン・フィッツジェラルドで、ふたりは、NSAの職場のできるだけリアルに再現するためにインターネット(原初から軍事的システム)の技術的な専門家やアドバイザーへの取材に加えて、スノーデン本人のほか、ウイリアム・ビニー、トーマス・ドレイクなどといったNSAの過去の内部告発者たちにも助言を求めた、という。

●NSAの妨害を恐れながら。
 映画の撮影はドイツのミュンヘンで2015年2月16日に始まった。4月半ばには、ハワイで撮影が行われた。映画に使われた家は、スノーデンとリンゼイが実際に住んでいたのと同じ通りにあったものだ、という。4月末には香港での撮影が始まり、スノーデンが告発後、実際に3週間隠れ住んでいた古いホテルでも行われた。撮影は5月末まで続く。
 NSAの妨害や干渉を恐れたストーン監督は、「我々は危険に晒されているような気がした。我々にはNSAが何をするのかわからなかった」「NSAに放っておいて欲しいと心から願っていたよ」などと語った、という。モスクワでのラストシーンを撮り終えたとき、「もの凄い高揚感を感じた」と監督はいう。「非常に意識の高い映画が作れたし、リアルな緊張感を持った作品になったと思う」と語っている、という。

 スノーデンは、事件以降、英雄だとか、犯罪者だとかいう議論があるそうだが、スノーデンは、NSAから、いまも追われている、という意味では犯罪者なのだろうが、アメリカ憲法の精神、つまり、近代的なデモクラシーの原理に忠実という意味では、普遍的な良心の持ち主と言える。評価が分かれる双面のヒーロー。いわば、アンチ・ヒーロー。

◆◆ アンチ・ヒーロー、としてのスノーデン

 内部告発者は、信念に基づいて自分が所属する組織の不正義な事象を外部に訴え出る。しかし、内部告発者だけの力では、その訴えは、世間に広く伝えることはできない。そういう状況では、内部告発も成功しない可能性がある。映画『スノーデン』では、2013年6月の香港のホテルの一室で、イギリスのガーディアン紙の関係者(ドキュメンタリー作家やコラムニストら)とスノーデンが密会する場面が、冒頭で描かれる。内部告発を手助けするマスメディアの役割が象徴的に描かれる重要な場面だろう。スノーデンのような命をかけた内部告発者の受け皿となるような健全なマスメディアが必要なことを印象付ける。

 ここで、マスメディアに必要とされる役割は、内部告発された情報が事実であることを検証しきちんと報道することだ。それも、マスメディア内部の上層部から萎縮(シュリンク)されないように検証する、また、内部告発の対象である当該組織に報道前に察知されて、事実を隠蔽され、偽造され、潰されないように調査報道を徹底することであるが、これは、なかなか難しい。検証するマスメディアが必要なのだ。検証しない、シュリンクするマスメディアやネットメディアでは、内部告発の受け皿にはなりえない。スノーデンも、映画で描かれているように、2008年の大統領選挙の結果、共和党政権から民主党政権へ、政権交代があったのを踏まえて、2013年、オバマが大統領職位にあるうちに告発に踏み切ったし、映画では内部告発の受け皿となるメディアもイギリスのガーディアン紙を相手に選んでいる。デモクラシー社会にとって、マスメディアの大義とは、国家権力の監視である。

 2017年1月末以降、いま、アメリカでは、大統領とマスメディアの対抗が続いている。トランプのマスメディア敵視対応が「対抗」の最大の原因であろう。「トランプの猫だまし」作戦。政治のスタートラインで、トップの大統領が、とんでもないことを言い、部下の実務者が、元に戻す措置を取る。すると、スタートラインは、変わっていないのに、大統領が従来と同じことをしても「前進」したような印象を与える。私は、この手法を「トランプの猫だまし」と名付けてみた。

 アンチ・ヒーロー、としてのスノーデンは、ツイッターで、次のようなことを書いた、という。

 I used to work for the government. Now I work for the public.
  かつて私は政府のために働いていた。いま、私は公共のために働いている。

 スノーデンは、オリバー・ストーン監督が映画で描いたような真面目な青年なのだろう。アメリカ憲法精神(パブリック優先)を真面目に遵守したがゆえに、異郷の地、モスクワで不自由な生活を余儀なくされている。大統領がオバマからトランプになったから、現在では余計に不自由さが増し、身の危険度も高まったのではないか、と危惧される。

 ところで、スノーデンは、アンチ・ヒーローではないのではないか。良心の囚人だ。知ってしまったNSAの不正義(いまも続いている)をパブリック(公共性)のために、告発した。高い報酬、輝かしいキャリア、良き連れ合いとの安定した生活を捨てて、望まずにして「まつろわぬもの」になってしまった。良心の自由、内面の自由、表現の自由、という人類が育んできた近代の憲法精神を優先しただけなのに。

 いまも現在進行形のスノーデン問題とは、要は、デモクラシーの視点からの検証を踏まえて、評価すべきだろう。スノーデン事件と映画『スノーデン』は、細部では、いくつも明らかに違う。しかし、スノーデンが告発し、オリバー・ストーン監督らが告発したことは、同根であろう、と私は思う。NSAの不正義(いまも続いている)は、何よりも、国家規模を超えて、人類にとってパブリック・公共の利益にならず、近代が培ってきたデモクラシーにも反する、ということだろう、と私は思う。

 スノーデンの勇気、スノーデンの正気を支えたリンゼイの信頼感。このふたつは、ノーベル平和賞にも値するのではないか、それでも、スノーデンらは、良心の囚人、という状況からは逃れられない。晴れ晴れとした表情で、モスクワから出て行けない。アメリカや各地と自由に往来できない。オスロでのノーベル賞授賞式に出席したら、身柄を拘束されかねない状況は、以前よりも高まっている。

 映画のエンディングのクレジットが出てくる前に、映像では表現し得なかった事実がスーパー・イン・ポーズとして、いくつか重要な情報を観客の私たちに向けて伝えてきた。その中で、私が嬉しく受け取ったのは、リンゼイ・ミルズが、その後モスクワに移り住み、エドこと、エドワード・ジョセフ・スノーデンと一緒に暮らしているというものだった。スノーデンは、捨てる覚悟で決断した正義の果てに、リンゼイとの生活だけは取り戻したのだ。スノーデンをリンゼイが支えながら、ふたりは、異郷の地で、仲良く暮らしているのだろうと、思う。

◆◆ 日本では?

 日本には、「PRISM」は、まだ、ないのだろうか。あるいは、日米軍事同盟同様に、既にアメリカの「PRISM」の傘の下に入って駆使しているのか。私たちの私生活もスノーデンの危惧通り、傍受・盗聴されているのか。電子機器を駆使した権力による監視社会、電脳監視社会の足音が聞こえる。

 特定秘密保護法、通信傍受法・いわゆる盗聴法、テロ防止を名目とした共謀罪と治安関係の法が次々と「整備」され、改定され、新設されている。特に、「共謀罪」は、何回かの廃案を経ても不死鳥の如く蘇り、新設されようとしている。「共謀罪」という表記を隠して、「テロ等準備罪」と変えては見たけれど、「テロ」の表記は、法案の条文には一つもない、ということも判明し、「テロリズム」という文言追加の動きがある。廃案になった当初案より、対象となる犯罪は半数以下になって、277に狭められたとはいえ、まだまだ、数は多い。国民の「思想・信条の自由」を奪う、「内面の自由」、心のうちに手を突っ込んでくる悪法という本質は、当初から微動だにせず、変わっていない。

 「テロリズム」という文言の有無など、本質には関係してこない。このしつこさこそ権力の本質にほかならない、ということを国民はきちんと知るべきだ。例えば、一般の市民団体であっても、何らかの行動を決めた場合に捜査機関の判断次第で組織的威力業務妨害が目的の「組織的犯罪集団」に団体の性質が「一変した」と認定されると市民団体も取り締まりの対象となるという懸念があるのではないか。「化ける怖さ」。共謀罪の怖さは、まさに、ここにこそある。

 共謀罪は、憲法で保障された基本的人権を蔑ろにした悪法である。国会審議でも、対象となる犯罪に大雑把に大風呂敷を被せておいて、対象犯罪を水増ししておいて対象数を減らして網を狭めてくるポーズをとると、ちゃんと審議したような幻想を振りまくことができる。実際、公明党はそういう戦略だったのではないかと、勘ぐりたくなる。そういう「猫だまし」のような戦術でトランプならぬ安倍政権の国会審議が続いてきたように見える。トランプも安倍も猫だましで、権力の及ぶ範囲の輪を広げてきている。スノーデンが危惧した監視社会に日本もグンと近づいてきているのではないか。
 日本のマスメディアは、安倍のからむ小学校用地への国有地の払い下げ問題をめぐる論戦を昼間は国会で取材しながら(マスメディアの責任で検証=ファクトチェックはしているでしょうね?)、夜は官邸キャップという政治部記者たちのリーダー格が安倍政権から呑み食いの馳走攻めにあったのではないのか。新聞の政治面の「記事」と「首相動静」などの記録だけからでも、そういう光景が見えてくる。

「首相動静」(朝日)
【午後】(略)7時5分、東京・赤坂の中国料理店「赤坂飯店」。内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談。9時55分、東京・富ヶ谷の自宅。

 (元NHK社会部記者・日本ペンクラブ理事・オルタ編集委員)


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