【沖縄の地鳴り】

露骨な「アメとムチ」 民意をものともしない「沖縄差別」

大山 哲


 圧倒的な「NO」の民意を無視して、政府はついに辺野古新基地建設の本格工事に着工した。強権の発動である。安倍首相、菅官房長官は、常々「県民に寄り添う」と公言しているが、これは裏腹に、沖縄県との協議を一方的に打ち切り、「国には従え」の挙に出たのだ。全てがアメリカに寄り添うの図である。

 普天間飛行場の危険性の除去は、辺野古新基地建設の是非に関わりなく、一日も早く実現しなければならない緊急の課題だ。「辺野古が唯一の解決策」と強弁し、辺野古を認めなければ、普天間は返さないというのは、最優先すべき危険性の除去の道理に合わない。ましてや「責任は辺野古を認めない翁長県知事にある」とのキャンペーンが横行するに至っては、責任転嫁もはなはだしい。

 こんな理不尽な仕打ちを見せつけられると、使いたくもない「沖縄差別」という言葉が、つい口をついて出てくる。ただの被害者意識からではない。民意を物ともしない政府の強硬な姿勢が、民主主義の本旨にもとることへの憤りと抵抗の気持ちが「差別」に行きついてしまうのだ。

 辺野古で本格工事を強行着手した10月29日、菅長官はグアムに飛び、現地で「在沖米海兵隊の4千人を移駐する」と打ち上げ、嘉手納基地以南の11施設の返還方針も強調した。わざわざグアムまで出かけ、沖縄の負担軽減をアピールしたのは、日本国民への効果を狙ってのパフォーマンスだが、アメとムチを同時演出したことで、本音を見抜かれてしまった。

 菅長官が発表した内容は、ことごとく10年も前に日米合意がなされており、何ら真新しいものではない。今もって実現していないだけの話である。すかさず翁長知事は「目くらましの戦法」と批判。誰からとはなく「猿芝居だ」との陰口さえ飛び出した。

 沖縄が過重な基地負担を強いられているのは、国土面積の僅か0.6%の県に、米軍専用施設の73.8%を占めている事実でも明らか。日米合意の嘉手納基地以南の11施設(うち7施設は県内移設条件付き)が返還されても、0.7%の減少にしかならず、相変わらず73.1%は残るのである。本来の負担軽減にはほど遠い。何か普天間基地が返還されたら、沖縄基地の大半が無くなるような錯覚や誤解が、国民の間にはあるのだろうか。
 今、関心は普天間と辺野古に集中しているが、これは海兵隊だけのことである。沖縄基地は依然、極東最大の嘉手納空軍基地を抱えており、そのほか原潜も寄港するホワイトビーチ海軍軍港、グリーンベレー(特殊部隊)、キャンプハンセンなど、海兵隊の施設や演習場が所狭しと県土を占拠している。嘉手納基地(知花弾薬庫も含む)一カ所だけで、全国の米軍基地面積を束ねたよりも広い事実を掲げるまでもない。普天間問題だけで県民が基地の過重負担から開放されることはないのだ。

 政府は、辺野古の基地建設は負担軽減の一環と理由付けをする。海上を埋め立てての新空港のどこが軽減なのか、理解に苦しむ。「抑止力の強化と地理的優位性」の維持も明言しており、むしろ本音は後者にあることが見て取れる。

 「抑止力と地理的優位性」は、沖縄の県土を自由使用し、軍事の要塞と位置付けた米軍政時代の危険な発想が、日本政府の中に潜んでいることをうかがわせる。中谷防衛相は、あたかも辺野古が抑止力の拠点でもあるかのように「力の空白があってはならない」と、おどし文句を発した。負担の軽減とは無縁としか言いようがない。

 政府の、何がなんでも辺野古ありきの強硬姿勢は、いびつな沖縄振興策、まやかしの負担軽減策として、目前で日夜展開されている。しかも、それは巧妙で強引な懐柔、分術策、アメとムチの乱用。まるで植民地を思わせる政治手法がまかり通っているのだ。

 「アメとムチ」の見本のような、最たる事例が公然と政治の舞台で行われた。菅官房長官は、10月26日に辺野古基地周辺の久辺3区(辺野古、豊原、久志)の区長を首相官邸に招き、辺野古賛成を条件に三千万円の振興金を直接交付することを伝達した。常識を逸した露骨な懐柔(アメ)である。自治行政への不当な国の介入で、法治国家としてあるまじき行為だと断じざるを得ない。

 「区」は、自治行政の権能を持たない町内会のような任意団体である。環境整備など地域のテーマは、自治行政主体の名護市を通して行うのが筋なはず。市の頭越しに区に直接金を配る手法は、見え見えの懐柔策の何ものでもない。辺野古新基地に反対する名護市には再編交付金を凍結して「ムチ」を行使しているのだから、国は地元市民の分断を画策しているようにしか見えない。公式には「基地と振興策はリンクしない」と言いつつ、やっていることはリンクそのものなのだ。
 いくら日米同盟の強化の命題があるにせよ、環境を破壊してまで外国の軍隊の軍事空港を建設し、提供する正当性がどこにあるのか。しかも、巨額な国民の血税を投じてである。

 圧倒的な民意を背に「辺野古に基地はつくらせない」と連日、ゲート前にはせ参じ、また海上のカヌーで抗議する人々を、警察機動隊、海上保安庁、雇われ警備要員、米軍保安隊などが、実力で排除している。そんな異常な厳戒体制の下で新基地の建設工事は強引に進められる。

 沖縄の民意の多数は、全国から見れば、少数派、弱者であるに違いない。ややもすると国民の中に「沖縄に基地があるのは当然」、あるいは「仕方ない」の固定観念があることも垣間見える。そのところの発想の一大転換がなければ、政府の理不尽な強権発動を黙認し、バックアップする原動力にもなり得る。そこが安倍首相の思うツボなのかも知れない。もし、辺野古を通して沖縄の民意が圧殺されることになれば、その結末は大きな歴史の汚点になるであろう。本気でそう思う。

 (元沖縄タイムス編集局長)


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