■韓国と中国で何が起きているのか。
―もしくは日本で何が起きているのか。 石郷岡 建
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今年に入ってから日本と近隣諸国との関係が急速に悪化している。韓国と中国の国内では反日感情が高まっており、デモや集会が過激な形で起きた。特に、4月9、10日に中国全土で展開された反日デモは大きな盛りあがりを見せ、反日感情の根の深さを見せつけた。
この反日の機運に韓国・中国両政府も対日強硬姿勢をとらざるを得ない状況にある。日本では、この韓国、中国政府の対日強硬姿勢を「国内問題の不満の解消のため」いわばガス抜きの材料に使われているとの分析が多く、日本とは直接関係がないとの主張が多い。韓国、中国の動きには、あえて反応せず、冷静に見守ればいいとの意見も多い。しかし、いったん暴走し始めた反日の動きは思わぬ方向へと走る可能性さえあり、「国内問題」とばかりも言っていられない状況にある。
ではなぜ韓国や中国で反日感情が高まっているのか?まず、今年は第2次大戦60周年ということが大きい。欧州では和解の道が開かれ、戦勝国も敗戦国も一堂に会して記念式典や追悼式が行なわれている。ロシアのプーチン大統領も今年5月の対独戦勝記念日に、世界各国首脳を呼び、第2次大戦60周年記念式典を開催する。日本を除くG8の首脳が顔を揃えるほか、韓国大統領や中国政府代表も出席の予定だ。
いまのところ、日本はこれら式典に参加していない。日本は和解・追悼式典を否定し、ボイコットしているというな印象さえ与える。日本の外交イメージにとってはマイナスである。
さらに問題なのは、アジア地域では、そのような第2次大戦60周年を追悼する国際式典が皆無の状況にあることだ。アジア地域では人々の間に、和解や追悼への動きがなく、日本ではそのことを問題視する人もいない。アジア地域では政治体制や価値観が異なっており、欧州のような和解や平和への合意は難しいとの意見もあるかもしれないが、アジアでは、なおわだかまりが残っているという印象を強く与える。
それどころか、靖国神社参拝問題や教科書問題など、いわゆる「歴史認識」問題がくすぶっており、これが中国や韓国の一般民衆の不満のはけ口の対象にもなっている。これに対し、小泉首相や日本政府は「それぞれの国内事情でしょう」との態度で、問題を放置してきた。日本側にも言い分があるかもしれないが、「戦後処理をきちんと行ない、謝罪を行なっているドイツ」と「何もしない日本」との落差のイメージは増幅されている。
「日本の若者と話すと、歴史に対する知識、特に戦争における日本の役割について、多くの人々が期待しているようには知らないことが簡単に見て取れる。どうしてこの(日本の)若者たちは十分な知識を持たないのかという問いさえ出てくる。その一方で、日本の人々の間ではもう十分だとの声が強まっている。多くの日本人は、十分以上の謝罪をし、戦争の債務を支払ってきたと思っている。彼ら(日本人)は部屋の隅に追い詰められ続けてきたが、もはや立ちあがるべきだとさえ思っている」。
この文章はインドネシアの「ジャカルタ・ポスト」の社説からの引用である。日本の歴史認識問題について批判的なのは、なにも韓国や中国だけではない。アジア全体から批判的な目で見られているという事実を日本はもっと認識した方がいい。
日本では東京大空襲などの外からの攻撃がしばしばあったが、国内では大きな戦闘が展開されず、国全体が戦場になった経験がない。唯一の例外は沖縄で、沖縄ではどんな悲惨な状況が繰り広げられたか、沖縄の戦争を知る人に聞けばよくわかる。
そして、1番悲惨だったのは、女こどもを含む非戦闘員の民間人が戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲者を出したことである。日本ではその沖縄の悲劇が繰り返し語られるが、そのような悲劇は沖縄だけでなく、アジア各地で起きたという事実をもう一度見つめるべきだろう。
自分が住んでいる故郷が戦場になり、肉親が死亡するという不幸はぬぐえない過去となって、人々の記憶に残る。何度謝罪しても、その悲痛な感情は消えないだろうし、またその悲劇の記憶は人々の間の「共通の過去」として残る。時には「民族の記憶」として残ることもある。戦争が作り出すそのような憎しみや悲しみの感情に、日本はもっと注意を払い、デリケートになるべきだ。
今、韓国や中国で起きている反日感情は簡単に消えるようなものではない。十分に取り扱いには気を使うべきで、無視したり、冷淡になっていいというものではない。繰り返し、過去を清算し、お互いに溝を埋める努力をしない限り、お互いの感情の行き違いは続き、時には広がることさえあるだろう。
ただ、私は今回の反日感情および韓国・中国の対日強硬姿勢はもっと根が深い問題が背景に横たわっていると思っている。それは北東アジアの戦略的構図の変化である。ひとことで言えば、アジアの冷戦構造がやっと崩れ始め、その後にどのような仕組みができあがるのか、予測不明な不安定な時代に入り、お互いに疑心暗鬼になりやすい状況になったということである。
冷戦時代はソ連・中国・北朝鮮・北ベトナムの社会主義圏と米国、日本、韓国、東南アジア諸国が対立し、対決しあった。両陣営とも、共通の敵を持つことで、ある意味では戦略的利害を一致させていた。
しかし、ソ連崩壊とともに、このような対決構造は崩れ始める。中国では「改革・開放」をスローガンに市場経済制度が導入され、ベトナムでも「刷新」を掛け声に同じような経済改革が行なわれた。
経済面を見る限り、お互いの垣根は取り払われ、お互いに対決する必要がなくなった。それどころか、共通の利害や目標さえ見出される状況になった。双方の経済交流や人々の行き来は急速に増大し、経済規模は拡大し、それが「東アジア共同体」構想を生み出す理由にもなっている。とはいっても、アジア地域のリーダーシップ(もしくは覇権)を誰が握るのかという大きな問題は残っている。経済利害がからむだけに、大きな衝突になる可能性も秘めている。
安全保障面では、米政府の対ソ封じ込めの世界戦略の変更に伴なう米軍再編成問題が大きい。米国は韓国を含む日本とドイツという旧敗戦国に大規模な部隊を駐留させ、ソ連を東と西からはさみこむという軍事展開を続けてきたが、冷戦終了後、その必要性がなくなってきたことを米国は感じ始めた。新たな軍事世界展開の構図を考え始めている。 当初、目標となったのは躍進する中国だった可能性が強い。中国を「21世紀の仮想敵大国」とみる考え方である。
しかし、01年の米国同時多発テロ事件以降、米国は世界観を大きくかえ、イスラム過激派を当面の目標にし始めた。そして、打ち出されたのはユラーシア南部を三日月のように広がる「不安定の弧」という概念で、中東、イラン、アフガニスタン、南アジア、東南ジアと続くイスラム圏対策でもあり、中国もその一部にいれている。
米政府はドイツや日本・韓国に展開する大部隊を撤退させ、「不安定の弧」地帯へとシフトさせている。そのあり方や目標についてはなお検討中とされ、結論は示されていない。それでも、ルーマニアやブルガリア、ハンガリー、トルコ、イラク、ウズベキスタン、キルギス、アフガニスタンなどの各地で米軍基地の建設が始まっている。対ソ戦略から「不安定の弧」対抗戦略への転換である。
この世界戦略の転換に伴ない、東アジア地域からの米軍の撤退が本格化し始めた。最初にその動きが出たのが朝鮮半島で、米国政府はもはや韓国に大規模部隊を駐留させておく必要性がないと結論付けた可能性が強い。北朝鮮という不安定要因は残っているが、米国を脅かしたソ連という大きな脅威がなくなり、朝鮮半島は、米国にとってそれほど軍事的重要地域ではなくなってきたのである。
米国のアーミテージ元国務副長官が打ち出した「アーミテージ構想」には米軍の東アジアからの撤退と日本の自衛隊の再編成が強く主張されている。つまり、冷戦が終ったので、米軍は一歩退き、日本を初めとする東北アジア諸国が自らの防衛、安保体制を強化し、自らで解決していくべきだという考え方である。
ひとことでいえば、日本の軍事力強化と役割見直しである。戦後、日本の軍事力の増大にタガをはめ、軍事力強化を押さえる戦略が初めて緩み、制約が解かれるきっかけへと進むことになる。
そして、小泉政権は日米関係重視の親米路線を押し出しながら、自衛隊の役割見直しから海外派遣へと押し進むことになる。イラク戦争はブッシュ政権支援の目的もあったが、来るべき東北アジアの新安保時代への自衛隊の役割見直しと本格的な軍隊の創設への貴重な一歩だったと、のちに歴史的総括される可能性が強い。
そして、この軍事的変化とともに、日本国内の歴史見直しや日本のあるべき姿の見直しも進むことになる。ある意味では、第2次大戦後の日本の総括と新たな日本へのスタートが、ゆっくりではあるが確実に始まったのである。
さらに、この動きに伴なって、日本国内では米国から自立し、一人で歩くための思想基盤としての新たなナショナリズムが勃興し始める。ネオ・ナショナリズムと名付けてもいい。日本の再評価および自分自身の生き方の再確認作業である。新しい国あり方を探るための必要不可欠な作業ともいえる。
このような作業は日本だけではなく、冷戦後世界各地で起きた。同じように、国のあり方が問われ、見直しが迫られたのである。米国やソ連から自立の動きの勃興とともに、新しいナショナリズムが世界各地で立ちあがってきたのである。
米ソ対決時代に世界各地に張り巡らされた制約が解かれ、米国一極支配世界のなかで、各地でさまざまな動きが出始めた。世界各地に米国主導のグローバリズムが広がるなかで、各地でリージョナリズム(地域主義)が広がり、盛んになったことと呼応していると言ってもいいかもしれない。
韓国もこの流れの例外にはなっていない。盧武鉉政権は「新北東アジア構想」を打ち出した。中露北朝鮮と日米韓のいわゆる「南と北の三角形」が対峙・対決する従来の戦略構図を打ち破り、韓国は「北の三角形」(中露北)との「均衡役」になると言い出している。明らかに戦後長く続いた冷戦構造からの脱却による新しい枠組みを模索している。
中国も同様である。もっとも、中国では社会主義体制から擬似資本主義体制へと急激に変化し、国内の変化が激しく、国の姿の見直しどころか、根本から国の形を変えているのが実態かもしれない。
そして、日中韓の3国はお互いに違う目で相手を見つめ始めた。東北アジアの戦略構造の変化の中で、日本が新たな姿を見せ始めるかもしれないという認識は、すでに中国と韓国に現われている。中国の「対日新思考」なども、この変化の線上でとらえるべきだろう。そして、自衛隊の変化や海外派遣に、韓国や中国があまり大きな反応や反対の意思を示さなかった背景にも、この対日認識による現実直視の立場があったと思われる。
日本は米国の傘から抜け出し始めており、これは東北アジアの戦略構造変化による、ある種不可避のプロセスで、現実を見つめるしかないという認識だったかもしれない。小泉政権が米国の了解なしに行なった北朝鮮訪問と金正日総書記との首脳会談は世界を驚かせたが、日本の新しい姿と自立的行動の始りと理解すると、別の対応が出てくる。ちなみに、中露韓の東北アジア3国はすべて小泉政権の動きを歓迎した。朝鮮半島の冷戦構造を破る新たな動きととらえたのである。
ただ、新しい姿へと変りつつある日本がどこへいくのかという問いに対して、はっきりとした回答がない。日本政府も日本社会も答えていない。答えを持っていない可能性もある。それどころか、近隣諸国からみえる日本の変化に、日本自身がまだ気付いていない可能性さえある。
日本の動きは、第2次大戦後60年たった現在の時代の変化に伴なう必然であり、ある意味では認めざるを得ない。国連安保理常任理事国入りの立候補も時代の流れにあるかもしれない。しかし、日本は何をしようとしているのか。近隣諸国地域に何をするのか。さらに、日本は米国とアジアとどちらを重要視するのか。また、アジア地域にどのような戦略を展開するのか。疑問や不安は消えないのである。
これらの疑問上に、竹島や尖閣列島の領有問題が浮上した。もし、日本が変るとすれば、領有問題はどうなるのかという当然の疑問でもあった。ただ、日本は自分の姿が変りつつあるということが見えていない。だから「唐突で、何を今更なんで領有問題なのか」と日本は考える。しかし、韓国や中国は、変わりつつある日本が次に何をするのかという疑問姿勢にあるから、竹島、尖閣列島の領有問題にも敏感にならざるを得ないのである。
恐らく、日本は21世紀に東アジア地域の覇権国(もしくはリーダー国)になることはないだろう。あるとすれば中国で、日本でない可能性が強い。それでも地域大国として、どのような行動をとっていくのか、中国と組むのか、米国と組むのか、アジアの国々や人々は無関心ではいられない。
近隣諸国の不安や危惧を解消し、反日感情というネオナショナリズムを煽らないためにも、日本は自らを語る必要がある。過去と未来と、日本は何を総括し、何を考え、何をして行くのか。明らかにしなければならない時期に日本はやってきている。
(日本大学教授・前毎日新聞専門編集委員)