≪連載≫槿と桜

韓国の「秋夕」(チュソク)について

延 恩株


 今年の中秋は9月8日でしたが、東京地方はあいにくの雨で、満月を眺めることはできませんでした。
 「中秋の名月」という言葉は日本に来てから知りましたが、地球から見る月の位置が北半球では、この時期がいちばんきれいに、大きく見えるのだそうです。なんでも平安時代の貴族は月を直接眺めることはせずに、池やお酒が注がれた盃に映る月を眺めていたそうで、平安期の人びとはとてもロマンチックだったと思います。それだけ日本人には旧暦の8月15日は一年中でいちばん美しい満月が見られる日として知られていると言っていいのでしょう。 

 「月月に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月」
 私が日本に来て、まだそれほど経っていないときにある日本の方から教えられたのが、この短歌でした。季節はやはり9月だったように記憶しています。最初は何を言っているのかまったくわからず、ただリズム感があるのだけはわかりました。

 「日本では十五夜のお月さんが一番きれいだと言われているからこのような歌がある」と説明され、旧暦8月15日はススキを飾り、お団子、里芋、栗などを盛って「観月」の風習があることを知ったのもその時でした。
 韓国人である私にとって日本にこのような風習があることを知って、なんだか嬉しくなりました。ただそれと同時に韓国では同じ旧暦8月15日は「秋夕」(チュソク)と呼ばれる大きな行事があるけれど、ずいぶん違うとも思ったものです。

 現在、旧暦の8月15日は、韓国人にとってはとても大切な祭日になっています。韓国の大きな祭日は「正月」、「端午」、そして旧暦の8月15日の「秋夕」で、国をあげての三大行事となっています(かつて高麗時代には9つ、朝鮮王朝時代には4つの名節があったようです)。どれも旧暦で行いますから、太陽暦よりほぼ一カ月遅くなります。「正月」は二月、「端午」は六月というわけです。そして現在では「正月」と「秋夕」は祝日をはさんで前後3日間が連休となります。

 旧暦の8月15日という日付は同じですが、日本の中秋とは異なって、韓国の「秋夕」は何よりも先祖に実りを感謝し、家族が無事に過ごせた儀礼を尽くす祖霊崇拝の意味が強くあります。その意味では日本の「お盆」のようなものでしょう。でも日本のお盆は新暦で行う地域と旧暦で行う地域がありますが、たとえ 「旧盆」でも旧暦の7月15日に当たりますから、「秋夕」とは違います。

 よく観光案内などで、ちょうど今頃(9月10日前後)の韓国案内には「日本の旧盆に当たる「秋夕」では、年中無休の店を除き、多くの店が休むので要注意」といったお知らせが入ります。おそらく日本人に「秋夕」が理解されやすいように、「日本の旧盆」という表現を使うのでしょうが、これは誤解を生む恐れがあるように思います。

 日本のお盆は旧暦の7月15日で仏教行事の「盂蘭盆会」に通じています。ですからお盆の入りには先祖の霊を迎える「迎え火」、お盆が終わるときには送り火を焚くのはそのためでしょう。日本では家の門口に茄子と胡瓜を牛と馬に見立てて置く家がありますが、それを見たときにはなぜこのようなことをするのかわかりませんでした。

 でも韓国の「秋夕」では、迎え火や送り火などはしません。そのかわり必ず墓参りをします。そしてこれも必ずですが「伐草」(ポルチョ)と呼ばれる、お墓の草取りをして掃除をし、墓前にその年に採れた収穫物などのお供えをします。

 でも仏教的な意味合いはありません。ですから「秋夕」の説明としては「日本の旧盆に当たる」ではなく「収穫を先祖に感謝し、家族揃って墓参をする韓国の大きな行事」としたらどうでしょう。

 それではここで少し簡単に「秋夕」について紹介します。
 何よりも「秋夕」とは何かです。その起源は実のところはっきりしていません。
 記録によれば、今からおよそ二千年前の新羅時代の第3代目の王について記述された中に8月15日の行事を「嘉俳」として触れられています(『三国史記』の「新羅本紀」)。この「嘉俳」も、現在では「嘉俳日」(カベイル)と呼ばれて「秋夕」を指します。
 また漢字が使われるようになった新羅時代の半ば以降、中国の中秋(旧暦8月15日)と月夕(旧暦8月15日の夜)の言葉が一つになったという説もあります。

 いずれにしても起源ははっきりしませんが、農耕民族としての生活から生まれたことだけは確かです。この時期は実りの季節のため、収穫をもたらした天や祖先に感謝し、来年の豊かな実りを併せて祈願しました。それだけでなく一年間収穫を得るために働いてきた自分たちを慰労する意味合いもあったと思われます。そのため今でもお供えしたものを、そのあと集ってきた人びとと食べ合い、飲んだり踊ったり、さらにはいろいろな遊びをするのは、単なる祖霊崇拝だけではないことを教えています。

 そして旧暦8月15日が「秋夕」となったのは、農耕作業に欠かせない月の運行が人びとに月への信仰をもたらし、それが夜を明るく照らしてくれる秋の満月の時と組み合わされていったと私は見ています。「秋夕」が“8月の真ん中”という意味の「ハンガウィ」や「中秋」と呼ばれるのもそのためだと思います。

●茶礼(チャレ)
 「秋夕」当日の早朝に行います。
 その年に収穫された穀物の料理を先祖にお供えし、収穫を感謝する儀式で、家で行います。一般的には四代前までのご先祖様の名前が祭壇には記されます。必ず新米で作ったご飯と新酒と松餅(ソンピョン)という松葉で蒸した餅が供えられ、茶礼が終わると家族全員、あるいは親戚一同がお供え物を分けあって食べます。

●伐草(ポルチョ)
 早朝、家での茶礼が終わると、今度は親族が集まってお墓参り(省墓 ソンミョ)に行きます。そしてまず最初に行うのがお墓の草取りです。これを「伐草」(ポルチョ)と言います。

 ここでもその年に収穫された穀物や酒などを先祖に供える儀式を行います。
 ただ「伐草」は「秋夕」当日ではなく、前もってきれいにしておこうというので、時間があるときに行うことが多くなっています。そのためどんなに遠くにお墓があっても伐草に出かけるため、最近では週末の高速道路が混雑するのが年中行事になっています。
 日本ではあまり考えられませんが、韓国では今でも一族の一員であるという意識はとても強いように思います。

 祖霊崇拝としての儀礼は以上ですが、「秋夕」に欠かせない食べ物の松餅(ソンピョン)についてちょっと触れておきます。
 松餅はうるち米の粉を練って作った皮にゴマや小豆、栗、ナツメなどを入れて蒸した餅のことです。その名の通り、松葉を敷いて蒸すため、餅に松葉の香りが移っています。
 若い女性はこのソンピョン作りの時には必ず駆りだされます。私も来日以前は毎年、母親や祖母などから形の良いソンピョンが作れると「可愛い女の赤ちゃんが産めるよ」と言われたものでした。

 ところでソンピョンの形はお団子のように丸くありません。むしろ半円のような形です。言い伝えですが、百済から新羅に王朝が変わろうとしている時、亀の甲羅に百済は満月のように丸く、新羅は新月のようだ、という文字が刻まれていたそうです。その噂を聞いた新羅の人びとはお供えとしてのソンピョンを半円のようにし、これから月が満ちてくることに掛けて、新羅が次第に栄えていくことを願ったのが始まりだそうです。 

 もう一つ土卵汁(トラン汁)という里芋のスープがあります。「秋夕」時期に収穫した里芋は栄養がいちばん豊富で、味も良いということから“土の中の卵”という意味で「トラン」と呼ばれるようになりました。

 日本でもお盆のシーズンにお中元として、親しい知人やお世話になっている人たちに品物を贈る習慣がありますが、「秋夕」のシーズンには同じようなことが行われています。
 デパートなどはまさにかき入れ時で特設売場が設けられ、一般商店も巻き込んでの贈り物商戦が展開され、なかなか活気に溢れます。

 日本では「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言います。冬の寒さは春分の頃まで、夏の暑さは秋分の頃までには和らぐという意味ですが、「辛いこともやがては去っていく」という意味にも使われます。韓国では「秋夕」に関連して「多からず少なからず、いつも秋夕の日のごとくあれ」(トドマルゴ トルドマルゴ ハンガウィマン カッタラ)というのがあります。「秋夕」の時期は暑くも寒くもなく、豊かな収穫に恵まれているこうした状態がいつまでも続くように、といった意味です。

 韓日のこの二つのことわざには、いずれも平穏で息災な生活を願う気持ちが底流にあるように思います。季節の移り変わりに思いを寄せたこのことわざからも韓日両民族が農耕を主体とした生活を営んできたことを窺わせています。
 しかしその一方で、日本と同じく核家族化が進み、親子でも離ればなれに住み、近隣家族との繋がりも薄れてきているのが韓国の現状です。それでも「秋夕」だけはなんとか家族や親戚が一同に集まろうとしています。

 先祖を大切に思い、礼を尽くすという習慣は大変大切だと私は思います。これは家族を思い、地域の人びとを大切とする気持ちに繋がっているはずです。
 民族大移動などとマスコミでは報道していますが、たとえ長時間の移動であっても故郷に帰り、家族、親戚、近隣の人びとと秋の収穫を祝い、共に食事をする風習はいつまでも続いていって欲しいと思っています。
 伝統や古い習慣、風習が消えていく韓国ですが、「秋夕」だけは今後も国民的行事として決して廃れることはないだろうと信じています。

 (筆者は大妻女子大学助教授)


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