槿と桜(2)

韓国のお墓事情あれこれ

延 恩株


 韓流ドラマが日本で定着してきているからでしょうか、教え子から「韓国ドラマでときどき海や川、山で白っぽい粉をまくシーンがあるけれど、あの白い粉は何か」と聞かれることがよくあります。
 散骨という習慣が日本ではあまり馴染みがないだけに、若い日本人にはよく理解できないので、このような問いが生まれるのでしょう。
 ただ韓国でもこの散骨はこれまで国民の間にそれほど浸透していたわけではありません。しかし狭い国土の韓国ではお墓用の土地が不足してきているのは確かで、その解決法の一つとして散骨が取り入れられ始めています。
 もっとも年配の方には散骨以前の火葬に抵抗感を抱く人がそれなりにいることも否定できません。これには朝鮮民族の死生観や伝統とも関わっています。その意味では日本でも同様の考え方があって、『古事記』には「常世国」、つまり死の世界は地下にあると信じられてきて、やはり土葬が行われ来ました。日本で火葬が一般庶民の間で取り入れられ始めたのは江戸時代からだそうです。当時の江戸は人口が多かったのも火葬が増えた大きな理由でしょうが、もう一つは寺院が多く、現在の火葬場に当たる荼毘所を持つ寺院がそれなりにあったということです。

 13世紀の朝鮮王朝では仏教を廃し、中国から流入した朱子学と朱子家礼が重んじられ、祖先孝行の意味から肉体を焼くことが禁じられました。そして15世紀末には火葬はほとんどなくなってしまいました。
 こうした歴史の積み重ねに基づいた習慣や風俗は、そう簡単にはなくなりません。ですからソウルなどの大都市から地方に向けて、車で高速道路を走らせていますと、左右の山の斜面のあちらこちらに丸く土が盛り上がっている風景が目に飛び込んできます。実はこれがお墓なのです。
 日本のお墓のイメージとはかなり違っていて、韓国では山全体が一族の墓地というのも珍しくありません。お墓は土葬墓ですから一人だけのもので、他の人の土葬墓は少し離れた場所になります。

 私の祖祖父母のお墓も山にありました。私の家系には残念ながらお金持ちはいませんでしたので、そこは村人たちの共同墓地として使われていました。前号で一年の収穫を祖先の墓前で報告し、感謝する行事の「秋夕」について書きました。その中で「秋夕」の前にあらかじめお墓を尋ねて、周囲の掃除をし、それは「伐草」(ポルチョ)と呼ばれると記しましたが、韓国のお墓は山そのものですから、まさに「草を刈る」ことになります。
 日本のお墓の掃除や草取りとはまったく違って、「伐草」は一仕事することになりますから。服装からして作業着で出かけなければなりません。でもこうした先祖が眠っているお墓の草取り作業を通して、家族や一族の絆がより強くなっていくように思います。

 私の父方の祖祖父母のお墓(山)に行ったのは私が幼稚園児の時でした。両親はこれまで以上にたくさんのお供え物を作って行きました。なぜならそれが最後の墓参りになるからでした。祖祖父母のお墓がなくなることがわかっていたからです。
 理由は土地開発という公共事業によって市から譲渡を要請されたからでした。長男だった父は新たな土地(山)を求めてお墓を移すことを諦め、結局火葬にして川に散骨しました。日本でも土地開発で共同墓地を移転させるということは時として起きますが、土葬ではありませんからお墓の移転は韓国ほど大変ではないと思います。
 また5年ほど前ですが、帰省した機会に母方の祖祖父母のお墓参りに弟と出かけました。ところがその山にあるはずのお墓が見当たりません。なんと一カ月ほど前にお墓を掘って火葬にしたというのです。その山は親族が所有していたのですが、それを売却することにしたからだそうです。

 私の家の例でもわかるように、もはや山を入手して、家族や一族の墓地として維持していくのは難しくなってきています。今後は伝統的なお墓を持つことができるのは一部の裕福な人たちだけになっていくのではないでしょうか。
 これまで韓国では死体を傷つけてはいけない、火葬にするのは親不孝だと考えられてきたのは事実です。また風水的に良い場所に墓を作ると子孫が繁栄すると考える価値観も根強くあります。
 でも急激な土地開発と都市化の波で深刻な土地不足が現実となってきています。国や自治体もこうした状況を放置できなくなってきて、2000年には葬事に関する法律が全面的に改正されました。この法律では納骨施設の拡大を図ろうとするもので、韓国の人びとの葬礼文化、特に土葬に対する認識に大きな変化が生まれてきているようです。
 その結果、韓国の火葬率は1990年代初めは20%に達しなかったのが、その10年後には33%台に、現在では70%台に届いているとと思われます。相当の速度で火葬率が上がっていることがわかります。

 おそらくソウルなど大都市では、私の家族もそうですがほとんどの人びとは土葬を諦めて火葬を考えていると思われます。そうなればもちろん、お墓の形態も大きく変わることは言うまでもありません。
 これを裏づけるように、火葬した遺骨を樹木、花草などに埋めるか、散骨する自然葬制度が導入され、ソウル市には散骨するための公園もできています。
 土葬から火葬へ、そして納骨堂の普及、さらには散骨や自然葬という変化は少なくとも他の習慣や風習を大切に守ろうとしてきている韓国の人びとの中では、特異と言っていいほど劇的な変化を遂げていると思います。

 土葬を続けていく限り墓地としての土地がなくなり、いま現在、生活している人びとにしわ寄せが及ぶとなれば、お墓や葬儀の形式を変えるしかないのはやむを得ないでしょう。ただ人びとの死生観に変化が生じなければ、これほど火葬率が伸びることはなかったでしょうし、葬墓文化に大きな影響を及ぼすことはなかったと思います。
 その意味では土地がないという決定的な理由があるにしても、韓国の人びとの伝統的な思想や風俗、習慣が急激に変わったしまったのは驚きに値します。
 そして私のこの「驚き」には、国を長く離れている、なかば第三者としての目もあることをつけ加えておきます。

(筆者は大妻女子大学助教授)

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