【コラム】槿と桜(21)

韓国の徴兵制と若者たち(1)

延 恩株


 韓国にはあって、日本にはない制度があります。それは19歳から29歳までの成人男子に課せられた「兵役の義務」がそれです。

 徴兵制は1945年以前の日本にもあった制度ですが、現在の日本の方、特に若い方にはまったく別世界のことでしかないでしょう。一見、平和に見える韓国ですが、韓国旅行中に突如、サイレンが大音響で鳴り出し、車が止まり、通りから人の動きが消え、制服姿で一瞬にして現れた警官のような、軍人のような監視者がそこここに立っているという場に遭遇したことはありませんか。毎月15日の午後2時から実施されるこの訓練こそ、敵から攻撃を受けたことを想定し、そうした非常事態に備えるために、国民すべてが、どこにいてもこの訓練に加わることが義務づけられている、一種の軍事訓練なのです。そして、韓国人として生まれたからには、男子は一定期間、軍隊に入隊し、軍人としての訓練を受け、国防の任務を果たすことが義務づけられています。

 それでは、日本にはない兵役の義務や毎月、国民全員が加わる軍事訓練が韓国にはなぜあるのでしょうか。

 これには1945年に日本が朝鮮半島の支配から姿を消したあとに起きた朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」、「韓国動乱」と言う。開戦日にちなんで「6・25(ユギオ)」と呼ぶことが多い。1950年6月25日~1953年7月27日)がその大きな要因となっています。

 日本の敗戦後、朝鮮半島には残念ながら統一国家は生まれませんでした。1948年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という分断された二つの国家が生まれてしまったからです。さらに不幸なことは、朝鮮半島の主権争いによって、暫定的な国境線となっていた北緯38度線を越えて、北朝鮮が韓国側へ侵攻したことが、朝鮮戦争へと繋がってしまったことです。

 こうして3年間に及ぶ戦争は、朝鮮半島すべての地域を戦争に巻き込み、1953年7月27日にようやく中国・北朝鮮連合軍(実際には旧ソヴィエト連邦も加わっていましたが)とアメリカを中心とした国連軍が朝鮮戦争休戦協定に署名することになりました。

 この協定は名称からもわかりますように、あくまでも「休戦」であって、平和条約ではありませんから、実は朝鮮戦争は終わっていないのです。つまり現在も韓国と北朝鮮は戦争時と何も変わらない関係のままになっているわけです。

 ちなみに韓国と日本との間で国交正常化を果たしたのは、1965年6月22日に結ばれた「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(「대한민국과 일본국 간의 기본 관계에 관한 조약」)でした。

 つまり韓国と北朝鮮とは戦争状態が終結していませんから、常に戦争に備えなければならないのです。こうして韓国ではいつでも非常事態に対応できるように国民に兵役の義務を課すことになりました。

 19歳から29歳までの間に軍隊に入隊する期間は、おおよそ2年間です。陸軍、海軍、空軍、海兵隊などのいずれかに所属するのが一般的ですが、そのほかにもいろいろな服務形態があるため、期間にばらつきが生まれます。でもどのような形態であろうとも、除隊(正確に言えば、韓国の兵役法では現役から予備役に変わることを「転役」と呼びます)したらそれで終わりではなく、除隊後の8年間は「予備役」とされ、即戦力との位置づけで、有事に備えて年に数回の訓練を受けます。その後は「民防衛隊」の隊員となります。民防衛隊員は、年に1~2度、簡単な訓練を受けなければなりません。
 また先述しましたように毎月15日は「民防衛の日」(민방위의 날、ミンバンウィエナル)と定められていて、この民防衛隊を中心に有事に備えた訓練が行われます。
 韓国ではこうして40歳(40歳になった年の12月31日まで。ただし、民防衛基本法規定では、敵の侵攻があった場合は50歳まで延長される)になってようやく兵役義務から解放されることになります。

 韓国人はこの兵役義務をどう見ているのでしょうか。
 18歳になった男子は、19歳になるまでに先ず徴兵検査を受けることが義務づけられています。日本的に考えるなら、大学生になって自分の4年間の大学生活、そしてその先にある就職を視野に入れて勉強する時期に、それが分断される形で軍人となる約2年間を人生設計の中に組み入れなければならなくなることを否応なしに強制されることになるのです。当然と言ってはいけないのでしょうけれど、これを歓迎している韓国の若い男性はそれほど多くありません。

 検査日や検査場所は本人の選択が可能ですが、逃れることはできません。徴兵検査によって1級から7級に判定され、1~4級対象者は30歳の誕生日を迎える前までに入隊しなくてはならなくなります。

 19歳から29歳の間で、およそ2年間は自分のやりたいことを放棄して兵隊にならなければならないと考えただけで、女である私でもぞっとします。しかも組織としての厳しい統制が強制される軍隊生活は、それなりの覚悟が必要です。

 それでも韓国人がこの徴兵制度を受け入れているのは、朝鮮半島が南北に分断され、現在も北朝鮮との間で戦争が終結していないという危機意識があるからです。ですから国を守るために国民として果たさなければならない義務と認識し、受け入れている韓国人がほとんどです。ちょうど日本の方が国民として税金は納めなければならず、それに違反すればそれ相当の罰を覚悟しなければならないと考えているのと同じような認識だと思います。

 身体や学力などいくつもの項目の徴兵検査と経歴や資格などが生かせるための適性検査によって判定結果が出され、多くが1~3級の「現役(現役兵)」となります。ついで4級は「補充役(社会服務要員)」で、ここまでが入隊(入営)となります。
 ちなみに5級は外国籍取得者などで、「第二国民役」とされ、有事時出動となります。
 6級は兵役免除者、7級は再検査対象者です。

 「現役」と判定されると服務候補として陸軍、海軍、空軍、海兵隊などがありますが、特に志願しない限り、陸軍に配属されるのが一般的です。海軍、空軍、海兵隊などは志願しても、選考があり希望通りにならないこともあります。

 選考ということでは「転換服務」という陸軍、海軍、空軍、海兵隊などの軍隊ではなく、警察や消防に服務することもできます。ただし選抜試験があって、最近は非常に高い競争率となっていて、一流大学への入学試験と同じように、大変な狭き門になっています。

 なぜこのような現象が起きてくるのでしょうか。
 自分の意志に関係なく、たとえ数年間であっても軍隊に入隊し、厳しい訓練と任務に就かなければならないという徴兵制度は、個人の思いと国政の方針とがぶつかり合うだけに難しい問題が潜んでいます。
 韓国のお年寄りたちの中には、自国の若者たちの国を守る気概が薄れてきている現状を嘆く人もいます。確かに北朝鮮との戦争状態は終結していませんし、非常事態に常に備えなければならないことは、韓国の現実がそれを突きつけています。一方で韓国は経済的に発展を遂げ、国際的にも先進国として認められる国にまで国力をつけてきています。

 若者の意識が変わってくるのは致し方ないことだと思います。だからこそ韓国政府も徴兵制度を少しずつゆるめて、たとえば兵役期間を縮めてきたり、服務内容を増やしたり、猶与期間を与えたりしてきているのでしょう。
 しかしそれでも入隊を前にした若者たちは、「密補職」と呼ばれる服務形態に熱い視線を注ぐようになってきています。先述した「転換服務」などがそれで、大変な狭き門となっている理由が「蜜」のようだと受けとめられているからにほかなりません。  (以下次号に続く)

 (筆者は大妻女子大学准教授)


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