■落穂拾記(4)                      羽原 清雅

   ~「遊女の墓」異聞~
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 門司港(北九州市門司区)から国東半島に向けて数キロ南下すると、田野浦港
がある。この港は江戸中期以降、北前船が年間1000隻近く寄港するなど、大
いに賑わっていた。関門海峡をはさんで日本海-瀬戸内海-大坂を結んで物資を
動かしていたのだ。
 
  明治維新直前の1863年には、アメリカ船、ついでフランス船に対して、攘
夷に燃える下関側の長州軍が砲撃、さらに長州軍がこの田野浦港を占拠するなど、
戦火を浴びている。だが、翌年には英米仏蘭4カ国連合軍が田野浦側から下関方
面を攻撃して壊滅に追い込み、外国との戦力の違いを見せつけられるという、歴
史的な舞台にもなっている。
 
  そのような繁栄の港町であったから、18世紀中ごろから色街が生まれている。
「永文字屋」「蛭子屋」「鍛冶屋」など数軒の遊女屋があり、当時の記録による
と、なんと5歳から40歳までの抱え女20人程度がいたという。もっとも、窓
格子に遊廓の面影があるといわれなければ、気付くことのない変わりようだ。
 
  話はそこから始まる。
  田野浦にある真楽寺(浄土真宗本願寺派)とその裏手の聖山には「顧山妙喜信
女」「鶴峰妙翔信女」といった墓銘の遊女の墓が残っている、と知って出かけて
みた。だが、250年から170年前の墓はすでになく、門司港に近い地蔵寺
(庄司町・高野山真言宗)に移された、という。宗派の違う寺の間で移転があっ
たのはなぜか。でも、代替わりした若い住職はそんな経緯を知らない。ただ、こ
のうしろ盾は門司港に近い「直湖」というバーの経営者らしい、と高齢の郷土史
家が教えてくれた。
 
  「直湖」のあった栄町小路に出かけると、看板はあったが廃屋同様で、手掛か
りはつかめなかった。ちなみに、細く短いこの小路にはいま、赤提灯が下がり、
中華そば屋、林芙美子出生の地にちなむ「放浪記」といった喫茶店兼食堂などが
並ぶなど、終戦直後を感じさせる郷愁がただよっていた。 そのころ、筆者は出
版を急いでいた「『門司港』発展と栄光の歴史-夢を追った人・街・港」(博多・
書肆侃侃房刊)の締め切りに追われ、この取材は不十分なまま上梓してしまった。
 
  その後、日が経ってひょっとしたことから、「直湖」経営者の子息が高校の先
生をしていることがわかる。吉田直幸先生、という。やっと会えて話が聞けたの
だ。「直湖」の店はカウンター10人ほど、ボックス2つ程度のこじんまりした
もので、祖母吉田ナツさんが戦後に開業、門司港が栄えたころには外国船の船員
たちが常連になったり、口伝手に集ったり、おおいに賑わったという。そして、
その娘直子さんがあとを継いだが、門司港の沈滞とともに店も落ち込んでいく。
祖母は90歳近く、母は75歳で逝き、店はそのままとなった。
 
  1970年代、祖母ナツさんは直子さんとともに、憐れに散っていった遊女た
ちの菩提を弔おうと動き出す。その思いや動機は、幼かった直幸さんにはわから
ない。恵まれない無縁の墓に供養をすることが来世の幸せにつながる、というこ
とでもあったのだろうか。
 
  地蔵寺は門司港界隈を見渡せる高台にある。遊女たちの墓は20余基ほどあり、
整然と階段状に祀られていた。墓石は田野浦から移されたものではなく、墓名も
新しく、明るい茶色の、おそらく外国産の石に彫られていた。かつての墓石は台
座に据えられているのだろう。暗く重い人生を送った遊女たちには、1,2世紀
ぶりに訪れた、この世の浄土であり、明るい世界だったろう。

 直幸さんの記憶に「徳風会」「岡山の石材屋」があった。
  これを追うと、「徳風会」は見つかった。本部は京都にあり、三代目の竹谷聡
進氏が率いており、1925(大正14)年に松崎整道氏が数人の仲間と先祖を
祭祀し、お墓の掃除をするなどの陰徳を積むことで子々孫々の命運を豊かにしよ
う、といった趣旨で始まって、今日に至っているという。岡山の「福田海」など、
各地にこのような功徳を積もうとの団体があるのだという。
 
  吉田さん母子は徳風会の古い会員で、岡山にある倉元家石材商店に石碑の移転
などを依頼したようだ。 ささやかとはいえ、このような功徳に遊女たちも慰め
られようが、生きている小生にもホッとした気持ちを持たせてくれる。そして、
このような団体があることをはじめて知って、世の中捨てたものではない、とあ
らためて感じたものである。 <なお、「福田海」が正しいということです>

           (筆者は元朝日新聞政治部長・平成帝京大学客員教授)

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