■【読者日記——マスコミ同時代史】(旧タイトル「マスコミ昨日今日」)(14)

2014年12〜2015年1月

田中 良太


■【ブームとなったトマ・ピケティ】

◆朝毎読が年頭に紹介

 トマ・ピケティ(Thomas Piketty)は1971年フランス生まれのパリ経済学校教授。大部の著書「21世紀の資本」の邦訳が12月8日、みすず書房から刊行された。
 経済に不案内な私がその名を知ったのは、「朝日」が15年1月1日付朝刊11ページ(オピニオン面)全面をつぶして
<(インタビュー2015)失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティさん>
を掲載したからだった。
 「毎日」の3日付社説は
<戦後70年 ピケティ現象 希望求め議論始めよう>
 だった。

 「読売」もまた13日付の社説
<世界経済の岐路 安定成長への道をたどれるか>
 でピケティ説に触れている。その部分が末尾になっているのだが、以下の記述だ。
< 昨年来、世界経済の行く末にも関わる資本主義の在り方について、活発な議論が行われている。きっかけはフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏のベストセラー「21世紀の資本」である。
 [ピケティ説は正しいか](文中の小見出し)
 各国の200年以上にわたる統計を分析し、「資本収益率は経済成長率を上回る」と結論付けた。経済成長で皆が豊かになるより速く資産家が裕福になり、富の集中が進む、ということだろう。
 経済格差の問題が深刻な米国で評判となる一方、結論を導くために都合のいいデータばかりを使っているのではないか、といった疑問も呈されている。さらなる内容の検証が必要になる。
 ピケティ氏は、格差拡大を防ぐため、富裕層に対する世界規模の資産課税を提案している。だが、状況の異なる国々が、一斉に課税強化するのは、非現実的だ。
 そもそも、富める者への重税は、働く意欲を低下させ、肝心の成長を阻害する恐れがある。>
 格差解消によって、「富める者の働く意欲を低下させては困るというわけだ。アベノミクス肯定の読売らしい主張だ。

 毎日社説の後半部分も紹介しよう。
< この本を手にする人に限らず、世界のさまざまな場所で人々は今、経済や社会の行く末に疑問や不安を抱えている。
 「個人の努力や才能が、正当に評価されない世の中がやってくるのではないか」
 「社会の安定を欠き、民主主義を支える基盤を弱めはしないか」
 「積もり積もった不満を栄養として、全体主義や排外主義が大きく育っていくのではないか」
 「格差が拡大する傾向と『イスラム国』の台頭は関係ないのか」
 こうしたさまざまな問題に、どんな答えがあるのだろうか。一人一人はどう行動すればいいのか。多くの人がそう思い、考え、論じていきたいと願っている。
 ピケティ氏は、格差を解消するため、国際協調による「富裕税」の創設を唱えている。専門家は「非現実的だ」とそっけない。だが、結論は何ら出ていない。まさに論争はこれから始まる。本を読んでいなくてもいい。議論に加わろう。
 「疲労した資本主義」の先にあるのは、社会の分断や混乱とは限らない。新たな価値観に根ざした希望かもしれない。問題の大きさや困難さに目をそらしたり、立ちすくんだりしてはならない。きちんと向き合い、考えることが大切だ。
 「ピケティ現象」を希望を見いだすための論争の幕開けにしたい。>
 格差の問題をどうするのか? 論議を呼びかけ、富裕税構想も、直ちに否定してはいない。

 朝日でインタビューしたのは「論説主幹・大野博人」となっている。
<取材を終えて 「格差」という名の「不平等」>
 という署名入り記事を掲載している。一部を紹介しよう。

<「格差」の問題を語るとき、英語やフランス語ではたいてい「不平等」という言葉を使う。ピケティ氏もインタビューでは「inegalite(不平等)」を繰り返していた。
 同じ状態を指すにしても、「不平等」は、民主主義の基本的な理念である「平等」を否定する言葉でもある。これがはらんでいる問題の広さや深刻さを連想せずにはおれない。>
 以上が冒頭である。末尾は以下の文章となる。
<「不平等」という言葉の含意をあらためて考えながら、日本語の文章での「格差」を「不平等」に置き換えてみる。「男女の格差」を「男女の不平等」に、「一票の価値の格差」を「一票の価値の不平等」に……。

 それらが民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのは政治であり民主的な社会でしかないことがいっそう鮮明になる。>
 「格差」を「不平等」と読み替えようとうわけだ。不平等なら、是正が必要な命題ということになる。
 ピケティの「格差拡大」論に対して、朝毎読3紙がそれぞれ見解を表明しているわけだ。社説や論説主幹署名入り記事での見解だけに各紙とも「らしさ」が発揮されている。「なるほど」と納得したくなる見解のように見える。

 安易に「見解」をうち出す前に、ピケティ理論の中心となっている「資本収益率は経済成長率を上回る」という命題についてちょっと考えて見たい。経済成長率は通常GDP(国内総生産)の伸び率で表示される。GDPは個人消費、企業部門の支出(投資と消費)政府・地方自治体の支出、輸出などの総計である。通常GDPの6割程度は個人消費だといわれている。
 当然のことながら個人消費は収益を稼ぐために行われるものではない。春闘ベアなどで個人の所得が増え、それに伴って個人消費がプラス成長となることは当然考えられる。しかし春闘によって毎年のように賃上げがあるのは日本だけらしい。つまりGDPの6割程度は「成長なし」部分なのだ。これに対して「資本収益率」は、企業などの決算をもとに計算するのだろう。企業だけでなく、さまざまなファンド(基金)などの決算の集積となる。全てが収益を目指す活動だと言っていいはずだ。
 少なくとも「資本収益率は個人消費の伸び率より高い」のは当然と思われる。GDPの6割は個人消費なのだから「資本収益率の伸びは、GDPの伸び率より高い」というのは当然と思われる。ピケティの言う「経済成長率」がGDPの伸び率と一致するなら「資本収益率は経済成長率を上回る」のは当然のことだ。それが格差=不平等をもたらすとは言えないのではなかろうか?
 問題は「資本収益」をもたらす取り引きがどんどん巨大なものになっていることだと思われる。

 経済学者宮崎義一(故人)は著書「ドルと円」(岩波新書、88年9月)「複合不況」(中公新書、92年6月)などで、当時の世界経済を動かす力が「物とサービスの貿易ではなく、資本移動に変わった」と指摘した。宮崎によると1986年3月、はじめて東京、ロンドン、ニューヨークの各外為市場で1日あたりの取引額の同時調査が行われたが、それをもとに年間の通貨の取引額を推計した数字は、世界の年間貿易総額の16倍以上だったという。

 週刊誌「アエラ」は07年8月13日号で「円高・株安の本当の主犯 米国発サブプライムショック」と題するレポートを掲載した。その書き出しは、以下のとおりである。
<もはや「兆」を超え、「京」の単位に達する。為替に特化したヘッジファンドの動かすマネーである。
 ジョージ・ソロスが名を馳せた1990年代、彼らの資金量は、せいぜい10兆円程度だったと見られている。だが、いまやそれが120兆円を超えると推定される。空恐ろしいのは、彼らがこれを元手に借り入れをし、運用する規模を20〜30倍に膨らませていることだ。したがって動くマネーは数千兆円から京円サイズになる。
 背筋が寒くなるのは、規模だけではない。その回転スピードが尋常ではないのだ。コンピューターネットワークの発展は世界中の資金移動を容易にさせ、彼らの売買は年間数百回転にもなり、出来高も京単位だ。邦銀の為替ディーラーでさえ年数十回といわれるので、その動きの速さは驚異的だ。>

 この時期、宮崎がやったように、通貨売買総額と年間貿易総額を比較するなら、少なくとも100倍程度になっていたはずだ。あるいはもっとけた違いに大きく、千倍・万倍の単位になっていたのかもしれない。
 個人の家計でも、人によって株式や債権(社債、国債等)の取引をすることはある。しかし外為市場にアクセスして、通貨の売買までする個人は稀だろう。通貨売買の巨大さが、「資本収益率」と経済成長率の格差を広げているように思われる。
 こういうことを考えると、現代の経済が、「本位通貨なき時代」であることに気付かざるをえない。多国間の貿易が一般化する19世紀になると、金本位制が必要となった。英国は1816年1ポンド金貨の鋳造を開始、金本位制を確立した。これが世界で初の金本位制となり、国際貿易での英国の優位に直結した。その後、第1次世界大戦、1929年世界大恐慌などで金本位制は崩れていた。

 第2次大戦後の国際通貨システムは「ブレトン・ウッズ体制」となった。最強の通貨、米国のドルは、他国の通貨当局に要求された場合に限り、金との交換に応じることにした。他国の通貨当局にとっては、ドルを保有することは金保有と同じ意味を持つことになったのだ。ブレトンウッズ体制は疑似金本位制として機能した。
 そのブレトン・ウッズ体制も崩れて「本位通貨なき時代」となっているのが現代の経済であろう。米大統領ニクソンがドルの兌換停止など「ドル防衛策」を発表してブレトン・ウッズ体制が崩壊したのは1971年8月だった。以後短期間のスミソニアン体制(管理変動相場制)を経て、73年2月には、通貨の交換レートは、外為市場の相場によって自由に変動することになった。
 物(モノ=英語のグッズ)とサービスの価値を示す尺度であったはずなのに、外為市場の世界では、互いに売買される「商品」になってしまった。商品の価値を示す尺度であったはずの通貨は消えてしまったのである。

 もはや17年も以前のことになるが、1998年11月8日付日経新聞朝刊のコラム「中外時評」は「まだ続く『71年無体制』——市場化と情報化が相乗」というタイトルだった。スミソニアン体制さえ崩壊した「本位通貨なき時代」を「71年無体制」と呼んだのである。その無体制の下で、各国の通貨は外為市場で取り引きされる商品となった。「価値の尺度」という通貨の権威は失われたのである。
 さらにコンピュータ時代が加わる。さまざまな市況の数値に対する判断基準をコンピュータに組み込んでおく。データをインプットしたとき、コンピュータは瞬時に「売り」「買い」などの行動をアウトプットしてくる。取り引きの規模さえ打ち込んでおけば、何億円でも、何兆円でも瞬時にして取り引きする。
 前記の「中外時評」は、
< 情報化した金融市場は、実需の裏打ちのない取引を急膨張させてきた。世界の外為市場の1日の取引高は、1兆ドルを軽く上回る。世界の年間貿易総額約5兆5千億ドルを3、4日でこなしてしまう規模である。>
 と書いた。

 世界の外為市場の1日の取引高はいまどの程度になっているのだろうか? コンピュータにプログラムを組み込んでおく。外為を中心にあらゆる市場などのデータを入力して、売り買いの判断をコンピュータにやらせる。じっさいの取り引きをコンピュータの判断どおり行う「裁定取引」がいまや一般化したともいう。
 日々の労働によってモノをつくり、あるいはサービスを提供する人々の活動を基本に置く世界も、外為「裁定取引」の世界も、ともに「経済」とされている。この双方は、そこで動くカネのタカ(「金額」と書きたくない)がかけ離れているだけでなく、それぞれの論理・原理もまったく異なるものになっている。
「本位通貨なき世界経済」=「71年無体制」の異常さが、もはや救いがたいものになったからこそ、「ピケティ」が異様なほどの大騒ぎになったのではないか?

 冒頭に紹介した毎日社説は
<東京都文京区立図書館は所蔵3冊に予約が200人以上。1冊を100人以上が待つ図書館もある。>
 と書いている、
 私の居住地は「首都圏の田舎」というべき自治体で、「21世紀の資本」は、私が購入希望を提出して初めて検討に入ったということのようだ。5940円の本を買うわけにはいかない経済状態だから、未読のままピケティ論を書くことになった。間違いがあったら「乞 ご容赦」である。

■【朝日新聞はどう変わった?】

 朝日は元旦の1月1日付朝刊<<お知らせ>読者とつくる新聞をめざして>を掲載した。1面題字下というもっとも目立つスペースだった。内容は
<朝日新聞は読者のみなさまの声にこたえ、ともに考える、顔のみえる新聞をめざします。その一環としてこの元旦紙面に「読者とつくるページ」(37面)を設けました。今後も随時掲載します。また主要記事を担当した記者たちの横顔を各面で紹介しています。
 以下のような新企画もスタートさせます。
 ■「Re:お答えします」は、記事や出来事について読者のみなさまからの質問に記者が紙面でお答えする企画です。本日は5本を掲載しています。質問のあて先は、re-okotae@asahi.com
 ■GDP予測、なぜ外れた 4面
 ■ヘイトスピーチ、各国の対応は 8面
 ■東京五輪、被災地どう関わる 32面
 ■ロボットとくらせる日はくるの 37面
 ■子どもの体力、東日本なぜ高い 38面
 ■解説/視点/考論
 ニュースをじっくり考えるヒントにしていただけるように、必要に応じて記事に「解説」「視点」「考論」をつけます。本日は2面「戦後70年」企画に記者の「視点」、3面「中学入試に英語」の記事に識者の「考論」を載せています。>

 6日付朝刊には
<ともに考え、ともにつくるメディアへ 行動計画を発表 朝日新聞社社長・渡辺雅隆>という記事を掲載した。
 本文は
<わたしは、昨年の記事取り消しなど一連の問題を深く反省し、朝日新聞社の存在意義は何か、一から見つめ直してまいりました。より良い明日をつくっていくために責任を果たし、信頼される報道機関であり続けたい。めざすのは「ともに考え、ともにつくるメディア」です。問題点の指摘や批判にとどまらず、みなさまと社会の課題を共有し、多角的な視点でともに解決策を探る姿勢を大切にします。

 朝日新聞社には約4500人の社員がいます。一人ひとりの社員が多様な社会の人々とのかかわりをより広く、より深くできれば、報道をさらに進化させられると考えます。

 問題が起きて以来、わたしたちの経営や報道の姿勢に対し、たくさんの厳しいご指摘をいただきました。事実、真実に対する謙虚さが欠けていたこと、社会からのご批判に耳を傾ける姿勢が足りなかったことを深く胸に刻みます。

 改革案をまとめるためにつくった「信頼回復と再生のための委員会」を中心に、多くの社員が参加して議論を繰り返し、行動計画を決めました。内向きの狭い視野に陥らないよう、社外の有識者の方々にも助言をいただきました。

 わたしが先頭に立ち、一つひとつの具体策を着実に実行していきます。ご支援をいただいているみなさまに改めて感謝申し上げるとともに、信頼にこたえられるよう力の限りを尽くすことを誓います。>
 である。

 行動計画は前日の5日、記者会見で発表し、6日の特設面(31面)に掲載した。
 その「理念」部分だけ引用しよう。
<1、 公正な姿勢で事実に向き合います
 事実に基づく公正で正確な報道こそが最大の使命です。社外からの指摘に謙虚に耳を傾け続けます。事前・事後のチェック体制をしっかり構築し、間違いは直ちにただす姿勢を徹底します。
2、多様な言論を尊重します
 読者とともにつくる新聞をめざします。多様な価値観や意見を紙面に反映するとともに、朝日新聞の記事や論説に対する異論・反論も幅広く掲載するフォーラム機能を強化します。今まで以上に複眼的な見方を意識した記事を増やします。
3、課題の解決策をともに探ります
 よりよい明日をつくっていくために、社会の仕組みや生活に密着したテーマについて幅広く考える情報を提供します。問題点の指摘にとどまらず、みなさまと課題を共有し、多角的な視点でともに解決策を探るメディアへと進化させます。>

 こうした朝日の「宣言」というべき記述は、政治家の演説と同じで、都合の良いことだけ並べる。実際に何をやっているかを見なければ、朝日がどう変わるかは分からない。その変化の実態を見るために、紙面に掲載された「Re:お答えします」記事に注目することにした。
 例えば1月1日付朝刊には
▽ヘイトスピーチ、各国の対応は?
▽ロボットとくらせる日はくるの?
▽子どもの体力、東日本なぜ高い
▽エコノミストのGDP予測、なぜ外れた?
▽東京五輪のビジョン、被災地との関わりは?
 と5本もの「Re:お答えします」が掲載されている。「禍を転じて福となす」を地で行って、この記事を売りものにしようという戦略ではないか? と思いたくなるような力コブの入れようだ。

 その中で、取材先との緊張関係がありそうなテーマに注目した。
 1つは1月5日付の<プロ野球選手の年俸、なぜ推定なの?>だ。
< プロ野球の球団と選手が結ぶ契約更改の記事で、「金額は推定」とあるのはなぜですか。金額をはっきり言う選手もいるようですが。(滋賀県 無職 60代男性)
 ▽公式発表なく、断定はできず(文中の見出し)
 ご指摘の通り、年俸には「金額は推定」というただし書きをつけて報じています。選手や球団に金額を明らかにする義務はなく、契約書にサインした後の会見で、記者が金額を推し量っているためです。
 例えば、阪神の契約更改で、藤浪晋太郎投手(20)と記者のやりとりは以下のようでした。
 「1億円の大台は?」
 「全然、届いていない。いい評価を頂いた」
 「アップ幅は?」
 「倍増に届かないくらいで、切りのいい数字です」
 今季の推定年俸4500万円と照らし合わせた結果、「8500万円」としました。
 阪神に限らず、額を明言しない選手は多くいます。「少しダウン」「アップです。すごく評価してもらった」と増減について言及する場合がほとんどです。「倍?」「2(2千万円)にいった?」などの質問を重ね、表情をうかがい、額を絞っていきます。その上で、交渉した球団幹部に裏付けのための取材をします。
 自ら明言する選手もいます。日本ハムの大谷翔平選手(20)は「ぴったり1億円です」と答えました。この場合も公式な書類や発表があるわけではないので、断定はしません。金額が推定できない場合、記事にしないこともあります。
 昔から金額の断定は避けたようです。朝日新聞では1960年代後半の記事に「年俸は○○万円になったもよう」とする表現があります。
 (スポーツ部・○○□□)>
 ○○□□の部分は実名が入っている。

 現役記者時代、私が聞いている話とは違う。「ほとんどの選手は、契約金額をずばり言う」というのである。この記事中の大谷のパターンだ。「(推定)」を入れるのは、いわば税務署対策。「推定」なしで「1億円」と記事になっていたら、税務署はその収入があったものとみなして課税する。そういう展開を防止するため「(推定)」を入れているというのである。
 正式のものではないが、選手は正直に金額を言う。その替わりメディアは「(推定)」を付けて報道するという「協定」が成立していると考えていい……というのである。「協定の成立」というのは差し障りがあるだろうが「という慣習になっている」なら、いまでも事実のはずだ。
 もちろん記事に紹介されている藤浪のような例もある。しかしそういう選手は少数にとどまると聞いていた。

 もう一つ<(Re:お答えします)首相の食事代、誰が支払う?>
 も紹介しよう。
<「首相動静」を読むと、安倍晋三首相はホテルのレストランなどでよく食事をしています。食事代はどうなっているのでしょうか。割り勘ですか。(岡山県 主婦 46歳)
 ▽公的な会食なら公費から(見出し)
 首相の日々の動きを追う「首相動静」には、安倍晋三首相が食事をしているレストランや料亭の名前が出てきます。政界や経済界の人たちと食事を共にするケースが目立ちますが、マスコミ関係者や俳優、学生時代の友人らもたびたび登場しています。
 こうした食事の費用について、首相の仕事を支える内閣官房の会計担当者は「公的な会食の場合には、『会議費』という名目で内閣官房の会計を通して食費が支払われる場合がある」と話しています。
 昨年4月に来日したオバマ米大統領と東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」で食事をした際には、この会議費で食事代が支払われたとのことです。
 ただ、家族などとの私的な食事の支払いは、ポケットマネーだそうです。
 また首相はマスコミ関係者ともしばしば会食します。官邸の記者クラブに所属する記者たちと会食した際は、会費制でした。
 全国紙やテレビ局のベテラン記者らとの定期的な会合もあります。出席している朝日新聞の曽我豪編集委員は「政治記者として、最高権力者である総理大臣がどういう思いで政治をしているのかを確かめる取材機会を大事にしたいと考えています」と話しています。費用は、安倍首相の分も含めてマスコミ側がすべて負担し、割り勘にしています。
 報道関係者との会食について、山本太郎参院議員が質問主意書で出席者や費用負担方法を明らかにするよう求めました。政府は今月9日、「『会食』については、政府として企画等を行っておらず、その費用も支出していないことから、お答えすることは困難である」との答弁書を閣議決定しています。
 では、政界や経済界の友人の場合は、私的な食事と言えるでしょうか。友人の中には各界の要職に就いている人も多く、公的な会食と捉えることもあるようです。そのため、どこまで会議費で食費を支払うかの線引きは「ケース・バイ・ケース」(会計担当者)だそうです。
 首相が訪れる店の予算額は、5千〜3万円程度と幅があります。ちなみに首相は肉料理が好きで、焼き肉やステーキの店を度々訪れています。昨年12月にあった衆院選の投開票日前日も、秘書官らと入ったのは焼き肉店でした。昔の首相は高級料亭を頻繁に使うケースが多かったようですが、安倍首相は相手によって肉に限らず様々な飲食店を利用しています。(政治部・○○□□)>
 これも「内閣官房の会計担当者」から取材しただけの「タテマエ論」をそのまま記事にしたような内容だ。朝日デジタルで「内閣官房機密費」を検索すると、
<官房機密費の使途公開求め提訴 大阪の市民団体=2014年9月17日夕刊>
<1年3カ月の菅政権、官房機密費15億円 使途は不明確=2011年9月28日朝刊>
 といった記事が出てくる。

 前者の全文は、以下のとおり。
<第2次安倍内閣の2013年に支出された内閣官房報償費(官房機密費)約13億6千万円の使い道を公開しないのは不当だとして、大阪の市民団体「政治資金オンブズマン」のメンバーが17日、国に開示を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
 同オンブズマンによる官房機密費の使途公開を求める訴訟は、安倍晋三首相が官房長官を務めた小泉純一郎内閣時の05〜06年と、麻生太郎内閣時の09年が対象となった2訴訟に続き3例目。過去2件では同地裁が12年にそれぞれ不開示処分を一部取り消す判決を出し、原告、国側双方が控訴している。
 内閣総務官室は「訴状を確認してから対応したい」とのコメントを出した。>
 後者は以下だ。
<菅内閣の約1年3カ月間に、計15億3千万円の内閣官房報償費(官房機密費)が国庫から支出されていたことが27日、野田内閣が閣議決定した答弁書で明らかになった。このうち4月時点で91万3082円が使われず、国庫に返納された。
 今年度に入ってからは、4月1日、21日、5月20日、6月21日、7月21日、8月18日に各1億円ずつ、計6億円を引き出した。4月に枝野幸男官房長官(当時)は機密費の使途について「東日本大震災以降、被災者支援の観点で効果的に使っている」と語ったが、具体的な使い道は明らかにしていない。
 菅内閣から野田内閣に引き継いだ時点の機密費の残高も、答弁書では明らかにしていない。>
 こうした朝日自身の記事にも触れていないのでは、誠意ある「お答え」とは言えない。官房機密費は毎年度約12億円で、時の政権の与党各派対策、マスコミ対策などに使われているのは、いわば「公然の秘密だ。その点に触れていないのでは、朝日の変化は「政権寄り」のものとなると予言してもいいのかもしれない。

■[タイトル変更のお知らせ]
 前号まで、「マスコミ昨日今日」のタイトルでしたが、「オルタ」主宰の加藤宣幸氏の了承を得て「読者日記——マスコミ同時代史」と変更しました。併せて匿名を止め、実名にしました。「昨日今日」スタートの「オルタ」120号(2013.12.20)に<「マスコミ昨日今日」開始にあたって>という短文を付け、50年前にスタートした「デスク日記」に触れました。
 「デスク日記」(みすず書房刊)は新米記者だった私を育ててくれた本です。その私はいま老読者になりました。「デスク日記のもの真似」と言われたら、たいへんな名誉、という気持ちで書き続けたいと思っています。

注)1月15日までの報道・論評を対象にしております。原則敬称略。新聞記事などの引用は、<>で囲むことを原則としております。

 (筆者は元毎日新聞記者)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧