【読者日記——マスコミ同時代史】(18)

2015年4〜5月

田中 良太


■【主テーマ=解釈改憲成功へ大きな一歩】

 ◆前文

 安倍晋三政権による解釈改憲が成功一歩手前まで行ってしまった。5月14日、政権は国家安全保障会議(NSC)、臨時閣議を相次いで開催し、「国際平和支援法案」「平和安全法制整備法案」(以下、「集団安保2法案」とする)を正式決定した。この集団安保2法案については自民党はもとより、安保法制をテーマに与党協議を積み重ねてきた公明党も了承している。野党の中でも維新、次世代両党などは賛成姿勢で、今国会では審議過程での曲折はあっても、成立は確実だろう。

 14日夕の記者会見で安倍は、日本の軍事力を外交・国際政治の手段として使うことを明言した。
<日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない>
 という憲法9条の規定は完全に無視され、日本は巨大な軍事力を持ち、「集団的自衛権」の名の下に、それを行使する「普通の国」となる。

 安倍の記者会見は「得意満面」というトーンだった。祖父・岸信介は、60年安保という日本史上稀な大衆運動に屈服することなく日米安保条約改定をやり遂げた「偉大な政治家だ」というのが、安倍の認識だ。そうした岸信介敬愛の政治観を恥ずかしげもなく表明した著書「美しい国へ」(文春新書、04年7月)の序文で安倍は、自ら「戦う政治家」を目指すと言い切っている。「国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する」というのである。
 安倍が好む「戦い」は、政治という場の内側で、批判を恐れず行動するというものに限定されたものではないはずだ。「超一級」の軍事力として育った日本軍(固有名詞「自衛隊」)の「3軍の司令官」として、「我が軍」を率いて「戦う」ことも含まれているはずだ。だからこそ3月20日、参院予算委での「我が軍」発言が出てきたはずだ。

 ◆田中秀征の指摘

 集団安保2法が解釈改憲だという着想を与えてくれたのはNHKラジオ朝6時台の「社会の見方・私の視点」という番組に5月6日登場した田中秀征だった。細川護煕政権時代の首相特別補佐、橋本龍太郎政権の経企庁長官だった田中は、いま福山大学経済学部客員教授が唯一の肩書きとなっているようだ。
 番組のタイトルは「日米首脳会談の評価」だったが、田中が主張したのは「今回、安倍晋三首相訪米に伴う日米間の外交によって行われたのは、事実上の日米安保条約改正にあたる」ということだった。
 日米安保条約が調印されたのは51年9月8日。日本の占領を終結させる対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)と同日だった。講和・安保両条約とも発効は翌52年4月28日で同じ。
 安保条約はその後、安倍の祖父・岸信介が改正を成立させ、「60年安保」という巨大で激しい反対闘争が展開された。それに懲りた自民党政権は、その後、安保条約についても明文改正ではなく、「解釈改正」の手法を採るようになった……。田中秀征の主張を、私(同姓だが血縁関係はない赤の他人)が補えば、以上のようなことになる。

 「日米安保解釈改正」の第一弾は、81年5月の日米共同声明で「日米同盟」をうち出したことだろう。この共同声明は鈴木善幸首相(当時=故人)が訪米し、レーガン大統領(同)との首脳会談行ったさいに合意したものとして発表された。しかし鈴木は帰国後、首脳会談で「同盟」と発言したことはなく、合意もなかったとして不満をもらす。外相だった伊東正義(故人)が辞任するという大騒ぎになったが、「日米同盟」はその後公認され、いまや定着した。
 「同盟」は alliance の訳語。広辞苑第六版の定義は<個人・団体もしくは国家が互いに共同の目的のために同一の行動をとることを約すること。また、その結果として成立した提携関係>だが、分野ごとに考えると、「軍事同盟」もっとも良くなじむ言葉だ。「経済上」深く連携した関係があっても「経済同盟」とは言わないのが普通だ。
 首脳会談で「日米同盟」を宣言したことは、第1回の「日米安保条約解釈改定」だった。その後の日米安保解釈改正は、ガイドライン(日米防衛協力の指針)改定の形をとるようになった。小渕恵三政権下の99年5月には、日本が米国に対して軍事協力できることを目指して作成されたガイドライン関連法が成立した。それが第2回の安保条約解釈改定。そしていま安倍自公連立政権は集団安保2法成立を目指して突っ走っている。それが成立すると第3回の日米安保解釈改定ということになる。

 ◆安保条約は憲法と並ぶ最高法規

 前項で述べたように、日米安保条約はサンフランシスコ講和条約(対日平和条約)と同日調印・同日発効という特殊な「誕生日」を持つ。この特殊性を原点として、「現在の日本の最高法規は、日本国憲法だけでなく、日米安保条約もまた最高法規だ」という学説を展開したのが元名古屋大教授、長谷川正安(故人)だった。「昭和憲法史」(岩波書店、1961年)「憲法運動論」(同、68年)などの著書で、その学説が説かれている。
 日本国憲法を最高法規とする官庁は内閣法制局だが、安保条約を最高法規とするのは外務省だ。外務省は北米局に「日米安全保障条約課(略称・安保課)」を持っている。この安保課こそ安保条約を最高法規として、沖縄基地の存続など、日本国憲法下では許されないはずの政策を実施し、継続させていく司令塔であり続けてきた。

 これが日本の憲法状況なのだから、日米安保の解釈改定は、そのまま憲法の解釈改定=解釈改憲に直結する。日米安保という軍事同盟の強化なのだから、憲法9条は、完膚無きまでに骨抜きにされたと言っていい。社民党前委員長の福島瑞穂が4月1日の参院予算委で、政府提出の安保関連諸法案について「戦争法案」と決めつけたのは、極めて正しい認識の表明だったと言える。
 この福島発言に対して安倍は「レッテルを貼って、議論を矮小(わいしょう)化していくことは断じて甘受できない」と反発。自民党は「戦争法案」という言葉を議事録から削除するという前例のない要求まで行った。これは「真相を見抜かれた故の強い反発だったはずだ。

 ◆メディアの「反発」は十分だったか?

 アンチ安倍政権姿勢を鮮明にしている朝日・毎日両紙は14日の閣議決定等、政権の動きに強く反発した。社説のタイトルは朝日が<安保法制、国会へ この一線を越えさせるな>、毎日は<安保法案 国会提出へ 大転換問う徹底議論を>であり、ともに通常2本分のスペースを使った「1本社説」だ。朝日社説は<合意なき歴史的転換>という小見出しを取り、以下のとおり書いている。

< 集団的自衛権の行使を認めた昨年7月の閣議決定は、憲法改正手続きを素通りした実質的な9条改正である。
 法案の成立は行政府の恣意(しい)的な解釈改憲を立法府が正当化し、集団的自衛権の実際の行使へと道を開くことになる。
 そうなれば、もう簡単には後戻りできない。この一線を越えてはならない>

 集団安保2法の成立は事実上の9条改憲であるという認識を表明した文章といっていい。
 朝日の場合は社説だけではない。1面の大部分を占めるのが<政権、安保政策を大転換 法案閣議決定、国会審議へ 首相「脅威に切れ目なく」>という大記事で、左肩に<政治の責任、見失うな 安保法制閣議決定 政治部長・立松朗>という署名記事が付いている。日常性のままなのは「折々のことば」と「天声人語」だけという1面づくりだった。毎日も1面の<安保政策 歴史的転換/関連法案を閣議決定>というトップ記事をはじめ、1、2、3各面のほとんどを関連記事で埋めていた。

 しかしその前日、14日付朝刊では朝毎両紙とも志賀原発(石川県)の活断層をめぐる記事だった。14日朝刊をつくる時点で、閣議決定など14日の集団安保2法案をめぐる日程は確定していた。朝日の総合4面には、<安保法制、一括改正に反発 野党「一本ずつ審議を」 きょう閣議決定>という記事が掲載されていた。その書き出しは<安保法制、一括改正に反発 野党「一本ずつ審議を」 きょう閣議決定>である。朝日がホントに<憲法改正手続きを素通りした実質的な9条改正>という認識を持っているなら、この記事に若干の手直しを加えて14日付朝刊1面トップに仕立て上げてもおかしくなかったはずである。

 ◆朝日叩きの効果?

 それができないところに、朝日・毎日両紙の「弱さ」があるように思える。昨年8月5、6両日付朝刊に掲載した「慰安婦報道検証」特集以後の「朝日叩き」は、12月の社長交代にまで至った。朝日という企業の次元で考えるなら、社長交代は最大の事態であって、それ以上の進展はない。
 しかしメディア界(熟さない言葉だが、政界・財界・学界などと並ぶ「メディアの世界」といった単純な意味)では、朝日以外も含めた多くのメディアが「反政権的」オピニオンの表明を自粛するといった影響が膨らんでいると推察できる。ひょっとする新聞の編集局で、「こんな記事を載せたら、朝日の二の舞になりかねない」といった会話があったりするのではないか?
 朝日の慰安婦報道検証特集は、なぜ紙面化されたのか? その真相に迫る「内幕もの」は、現在まで公(おおやけ)にされていない。少なくとも私の目に触れたもので、納得できる「真相」だナと思えるものはなかった。
 私は菅義偉官房長官が一枚噛んでいるという強い疑惑を持っている。菅が、当時の朝日社長、木村伊量(ただかず)との間に強いパイプを持っていたことは確証がある。そのパイプを通じて、「慰安婦報道について、明確な姿勢を示さなければ自民党としては朝日幹部の国会喚問などの措置に出ざるをえない」といった圧力をかけたのではないか? というものだ。その後の展開を考えるなら、「大成功」と評価できるだろう。

 ◆安倍政権のマスコミ戦略

 私がこの メールマガジン「オルタ」で、メディア時評を書いたのは第120号(2013年12月20日)からだった。当時は【マスコミ昨日今日】というタイトルで、執筆者も「大和田三郎」というペンネームを使っていた。その初回のタイトルは「マスコミと秘密保護法」とした。新聞論調では、秘密保護法「反対」一色で、キャンペーン的な紙面づくりにもみえた。しかしそのウラで、首相の安倍が、新聞・通信・テレビなど報道各社の社長・会長などトップを有名料理店に招いて懇談するというマスコミ相手の「宴会政治」が行われていたことを書いた。とくに新聞については、全国紙の代表(社長か会長、ときにその双方)が漏れなく宴会政治を受け入れていた……ことを書いた。

 紙面で反対一色、宴会政治では懇親という「二刀流」が成り立ちうるのか? という疑問▼「秘密保護法反対」という論調がタテマエ論だけではないか、という懐疑、などを表明したつもりだ。
 そこから書き始めて、今回ついに解釈改憲、それも9条を真っ向から否定する「戦争立法」にまで至ってしまった。
 途中から【読者日記——マスコミ同時代史】とタイトルを改め、執筆も田中良太(元毎日記者)と実名になった。今回が第18回だから、1年半にわたって書き続けてきたことになる。
 オモテの紙面ヅラだけで判断しない。ウラに隠れがちな政界要人らとの接触も含めて、マスコミの行動全体を見ようとする姿勢は正しかったと、胸を張ることができるだろう。しかし「解釈改憲の成功」にまで至るのでは、私自身「実現してほしくない」成り行きだった。
 もの書きの端くれとして誇って良い「成功」が、そのまま一市民としての「敗北」となる。その不愉快極まる時代を生きているという認識を固めなければならないようだ。これで、この項の一応のまとめとしたい。
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■【主テーマ関連=戦後70年の憲法記念日社説】

 例年、憲法記念日の社説は、憲法がテーマで2本分のスペースをとる「1本社説」というのが、主要新聞の不文律という様相だ。今年は戦後70年の年であり、主テーマで述べたようなきな臭い動きもある。憲法を論じる意味は一段と大きい、と言ってもいいはずだ。
 全国紙について言うならば、護憲の朝日・毎日対改憲の読売・産経という図式は今年も変わっていない。まず護憲の方から、タイトル(見出し)は
◇「裏口改憲」論と「憲法原則無視」論
 朝日=安倍政権と憲法 上からの改憲をはね返す
 毎日=憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう
となっている。
 朝日は<またも「裏口」から>という小見出しをとり、安倍政権が「裏口改憲」を目指していると批判している。

<自民、公明の与党は衆院で発議に必要な3分の2の勢力を持つが、参院では届かない。このため自民党が描いているのが「2段階戦略」だ。
 自民党の最大の狙いは9条改正だ。だが、国会にも世論にも根強い反対があり、改正は難しい。そこで、まずは野党の賛同も得て、大災害などに備える緊急事態条項や環境権といった国民の抵抗が少なそうな項目を加える改正を実現させる。9条に取り組むのは、その次だ。
 「憲法改正を国民に1回味わってもらう」という、いわゆる「お試し改憲」論である。
 安倍氏は首相に返り咲くと、過半数の賛成で改憲案を発議できるようにする96条改正を唱えた。ところが、内容より先に改正手続きを緩めるのは「裏口入学」との批判が強まった。
 9条改正を背後に隠した「お試し改憲」もまた、形を変えた裏口入学ではないか。>

 毎日の社説も、安倍政権と自民党の改憲論を<憲法の本質をゆがめかねない危うさが潜んでいるように思える>という危惧を表明している。

<憲法を論ずる際、忘れてはならないことがある。
 国民を縛るものではなく、国や政治家など権力を縛るもの、という憲法の根本原理だ。11条が基本的人権を「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とうたい、99条で閣僚や国会議員、公務員らに「憲法を尊重し擁護する義務」を課しているのは、まさにそのためである。
 ところが、自民党の改憲草案は、政治家の擁護義務の前に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という項目を盛り込んだ。まず国民に憲法尊重義務を課す、という逆立ちした原理が、自民党の改憲論を支える思想なのだ。
 さかさまの憲法原理が目指す、改憲の目的とは何か。それは、国や政治家が、自分たちの手に憲法を「取り戻す」ことであろう。
 そこには、二つの側面がある。一つは、連合国軍総司令部(GHQ)が作った憲法を、日本人自身の手で書き換えること。いわゆる「押しつけ憲法」論である。憲法を、国家のアイデンティティーの確立に利用する、上からの憲法論だ。
 二つ目は、憲法を、国民の手から政治家の手に「奪い取る」という発想だ。安倍政権が2年前、96条を改正し、国会の改憲発議に必要な数を衆参両院の3分の2以上から過半数に下げて改憲しやすくしようとしたのは、その典型である。>

 それぞれ手厳しい「反改憲論」であることは間違いない。

 ◆「まず改正」論と、「独立国の条件」論

 これに対して読売社説は<憲法記念日 まず改正テーマを絞り込もう>である。
<自民党は、「大規模災害などの緊急事態条項の新設」「環境権など新たな権利の追加」「財政規律条項の新設」の3項目を優先するよう提案している。
 16年夏の参院選を経たうえ、17年の通常国会前後に国会が改正を発議し、国民投票を実施する日程案も取りざたされる。
 無論、憲法改正のハードルは高い。衆参各院の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成を得ねばならない。
 憲法9条の定める自衛権のあり方や衆参両院の役割分担の見直しは、極めて重要な課題である。96条の発議要件の緩和も、高すぎる改正のハードルを是正するのに有効だ。ただ、いずれも国会での合意形成には時間を要しよう。
 憲法改正は条項別に実施されるため、全体を見直すには、国民投票を複数回行う必要がある。まず、より多くの政党の賛成が得やすいテーマから取り上げるのが現実的なアプローチだろう。>

 比較しながら読めば、朝日・毎日によって否定されている論理を読売が主張していることが分かる。このマンガ的な事態は読売社内で問題にならないのだろうか?

 産経の「主張」(社説にあたる)のタイトルは<憲法施行68年 独立と繁栄守る改正論を 世論喚起し具体案作りを急げ>である。
 書き出しの文章は以下である。
<「希望の同盟−。(日米が)一緒でなら、きっとできます」。安倍晋三首相は先月29日の米議会演説を、こう結んだ。
 だが、この言葉を真に実現するには、大きな障害が存在していることを忘れてはならない。
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という憲法前文の規定である。
 自国の安全保障を他者に依存する「基本法」を抱えたままで、世界の安全と繁栄にどう貢献していくというのか。>

 産経の現在日本についての認識は、「独立」も「繁栄」も阻害されているというところにあるらしい。阻害しているのは「日本国憲法だ」ということになる。国民の生活実感とかけ離れた認識であると言わざるをえない。

 ◆日経は「改憲の理由説明を」と主張

 朝日・毎日の護憲と、読売・産経の間で注目されるのが日経の姿勢である。憲法記念日社説のタイトルは<憲法のどこが不備かもっと説明せよ>だった。
 冒頭の小見出しは<世論はなぜ揺れるのか>だ。

<改憲に向けた環境整備は近年、着実に進む。国民投票のための法整備が2007年になされ、投票年齢をいくつにするのかという課題も昨年、「18歳以上」で最終決着した。衆参両院には国民投票にかける改憲案を練るための憲法審査会もできている。
 「国民投票に至る最後の詰めの入り口までやっと来た」。1993年の初当選以来、改憲を掲げてきた安倍晋三首相は今年の国会答弁でこんな感慨を漏らした。早ければ来年中にも改憲案の国会での発議にこぎ着けたいというのが安倍政権の目下の胸算用である。
 有権者の意識はそこまで至っているだろうか。日本経済新聞とテレビ東京が憲法記念日に先立ち実施した世論調査によると、「現在のままでよい」(44%)が「改正すべきだ」(42%)を上回った。男性は改憲賛成が現状維持よりも6ポイント多かったが、女性は逆に8ポイント少なかった。
 2年前には改憲賛成が56%を占めていたことを考えれば、大きな変化である。安倍首相が改憲を訴えれば訴えるほど、そこに危うさを感じる人がいるのだろう。集団的自衛権を巡る憲法解釈を昨年、変更したことも影響していよう。
 安倍政権が本気で改憲を目指すならば、世論がなぜ大きく揺れるのか、その理由を考える必要がある。なぜいま改憲が必要なのか、現憲法のどこに不備があるのか。その説明が足りていない。>

 世論調査の結果をもとに、「改憲支持」が減少、「護憲支持」が増加する傾向がみられる。その原因を「なぜいま改憲が必要なのか、現憲法のどこに不備があるのか」の説明が不十分だからだ、と即断するのは、論理の飛躍としか言いようがない。改憲が夢物語であった時期には「改憲支持」だったが、政権本体が改憲を目指して動きだしている段階となって、意見は変わった。改憲が実現すると、日本は「戦争」に大きく近づく。相手国はわからないが、じっさいの戦争となると惨禍は大きいはずだ。その不安が膨らんだから「改憲反対」に転じた。こういう人々が多かったことが「改憲反対」の比率増につながった……。こう考えた方がはるかに現実的だ。政権と与党による改憲の必要性の説明は不十分だ。だからもっとしっかり説明せよ、という日経の主張は一見合理的だが、実際には単なる即断でしかない。

 日経社説の最後の小見出しは<緊急事態条項の検討を>だ。
<東日本大震災では多くの行政機能がまひした。自衛隊や警察・消防が臨機応変にできる活動にさまざまな制約がある現体制のままでよいわけがない。憲法に緊急事態条項を新設することには、与野党の枠を超えて賛同する声がある。
 大規模な自然災害で国政選挙ができない場合の国会議員の任期の延長も定めておいた方がよい。
 にもかかわらず、なかなか議論が煮詰まらないのは、改憲論者の中に、戦争放棄を定めた9条の改正こそが本丸であり、緊急事態条項は前哨戦にすぎないなどと軽くみる気分があるからではないか。
 緊急事態条項は行政府に超法規的な権限を付与するものだ。発動要件は厳格であるべきだし、いつまで効力を有するのか、国会の事後承認の仕組みはどうあるべきかなど課題は多い。与野党の真剣な検討を求めたい。>
 という文章である。

 この主張は読売など改憲派の論調と一致する。現実政治の動きとしては、緊急事態条項を新規条文として追加するところから、改憲の第一歩が始まる可能性は否定できないかも知れない。このあたりに改憲・護憲両派対立の間に位置する日経の存在意義があるのかも知れない。

 ◆護憲一色の地方紙

 護憲論と改憲論が並立しているという憲法論議の構図は全国紙だけで、地方紙を見ると一変する。「護憲論一色」と言っていい世界なのである。地方紙の代表としてブロック3紙をとると、5月3日付社説のタイトルは以下のとおりとなる。
東京=戦後70年 憲法を考える 「不戦兵士」の声は今(=中日も同文)
西日本=憲法記念日に寄せて 政治の抜け道は許さない
北海道=きょう憲法記念日*平和主義の逸脱を危ぶむ
 となる。極めて強い護憲論で、改憲など検討の余地もないといった主張ばかりだ。

 東京新聞の憲法記念日社説は、昨年暮れ京都の出版社が復刻版を刊行した「石見(いわみ)タイムズ」という地方紙の紹介から始める。同紙の主筆兼編集長を務めた小島清文(故人)は元海軍中尉。戦時中、慶応大を繰り上げ卒業し、海軍に入った。戦艦「大和」の暗号士官としてフィリピンのレイテ沖海戦に従う。その後、ルソン島に配属され、中尉として小隊を率いた。
 周知のようにこの戦いは米軍の攻撃にさらされ、飢えや病気にも苛まれて大勢の兵隊が死んでいく悲惨なものだった。ジャングルの中で死屍(しし)累々といった状況下、「玉砕」の言葉も出る極限状況だった。
 小島は、「『国のために死ね』という指揮官は安全な場所におり、虫けらのように死んでいくのは兵隊ばかり…。連合艦隊はもはや戦う能力もない…。戦争はもうすぐ終わる…と考える。そう考えた末に部下を引き連れて、米軍に白旗をあげ投降した。
 その小島が復員後、「石見タイムズ」を刊行し、主筆兼編集長として健筆を振るった。小島氏がその地位にあったのは約11年間で、山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出していた、と紹介している。

<「自由を守れ」「女性の解放」「文化の存在理由」「文化運動と新しき農村」…。社説を眺めるだけでも、新時代の歯車を回そうとする言論の力がうかがえます。
 例えば「民主主義の健全なる発達は個人の教養なくしては望めないし、自らの属する小社会の改善から始めねばならない」などと論じます。日本に民主主義を根付かせ、二度と戦争をしない国にするという思いがありました。>

 この社説での小島の紹介は戦時中のことだけではない。
<小島氏の名前が世間に知られるようになるのは、新聞界を退いてからずっと後です。八八年に「不戦兵士の会」を結成し、各地で講演活動を始めたのです。ひたすら「不戦」を説きました。
 九二年に出した冊子ではこう記します。
 「戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から生まれた血肉の結晶である」
 憲法の平和主義のことです。戦後日本が戦死者を出さずに済んだのは、むろん九条のおかげです。自衛隊は本来あってはならないものとして正当性を奪い、軍拡路線にブレーキをかけてきました。個別的自衛権は正当防衛なので、紙一重で憲法に整合しているという理屈が成り立っていました。
 しかし、安倍晋三政権は従来の政府見解を破壊し、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めました。解釈改憲です。今国会で議論される安全保障法制は、他国への攻撃でも日本が武力行使できる内容です。「専守防衛」を根本から覆します。九条に反してしまいます。 権力を縛るのが憲法です。これが立憲主義の考え方です。権力を暴走させない近代の知恵です。権力が自ら縛りを解くようなやり方は、明らかに立憲主義からの逸脱です。
 小島氏は二〇〇一年の憲法記念日に中国新聞に寄稿しました。
 「権力者が言う『愛国心』の『国』は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな『愛国心』は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない」
 「われわれは、国歌や国旗で『愛国心』を強要されなくても誇ることのできる『自分たちの国』をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡(ほろ)びの道を歩むからだ>

 小島は02年82歳で亡くなったが、戒名は「誓願院不戦清文居士」だったことも紹介されている。小島の主張を借りて、安倍政権の改憲論を鋭く批判した社説なのである。

 「西日本」社説の冒頭は、以下の文章だ。
<戦後70年を境にくしくも「国のかたち」が変わろうとしている。いや、変えられつつある—。日本の政治状況を端的に表すなら、こんな姿ではないか。決して大げさな捉え方ではない、と考えます。
 主権者である国民の意思が十分に反映されないまま、為政者の判断で国の針路が変更される。それも憲法に関わる重大な政策転換がやすやすと進められていく。そうであれば、立憲主義に反します。>
 改憲論を強める安倍政権を真正面から批判している。

 北海道も冒頭から安倍政権批判を展開する。
<日本国憲法が施行されてきょうで68年になる。今年は戦後70年。時代の変化にさらされながらも平和国家の礎となった。その節目の年に重大な危機が訪れている。
 安倍晋三政権は昨年7月の閣議決定で集団的自衛権の行使を容認し、先の日米防衛協力指針(ガイドライン)の改定で米軍支援の地理的制約をなくした。自衛隊の活動は地球規模に広がる。安全保障政策の一大転換である。
 憲法は大きな岐路に立たされている。武力に頼らない平和主義の精神を未来へと引き継ぐ決意を新たにしなければならない。>
 <守るべき歯止め失う>という小見出しを付けた後には、以下のように主張した。

<1月に死去した函館出身の憲法学者奥平康弘さんの「志をつぐ会」が先月、東京都内で行われた。最後に出席した集会の映像が上映され、奥平さんは安倍政権の「積極的平和主義」を「まやかしの平和主義」として厳しく批判した。
 その「積極的平和主義」のもと、安倍政権は日米の新ガイドラインで切れ目のない協力関係をうたった。グローバルな軍事協力にほかならない。「専守防衛」の原則を捨てたに等しい。
 集団的自衛権の行使容認の閣議決定を受けた安全保障法制の論議は後半国会の焦点である。
 その審議を行う前に、新ガイドラインには早々と行使容認が反映されている。
 歴代政権は憲法9条のもと武力行使を受けた場合だけ自衛のための必要最小限度の武力行使ができ、他国を守るための集団的自衛権行使は許されないとしてきた。
 湾岸戦争後、国連平和維持活動(PKO)への自衛隊参加に道を開き、自衛隊の海外派遣は拡大の一途をたどった。
 それでも自重する一線があった。外国の戦争に日本は参加しないことだ。この歯止めがあればこそ自衛隊は戦争に巻き込まれることがなく、創設以来、戦闘で一人の死者も出さなかった。
 安倍政権の方針は海外での武力行使に道を開き、他国の戦争に巻き込まれる可能性が否定できない。戦後の国づくりの原理からの逸脱だ。国民を置き去りにしたまま突き進もうとする政府の姿勢を認めるわけにはいかない。
 憲法前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」とある。奥平さんら戦争を知る世代の願いとともに思い起こしたい。>

 末尾に至る主張は以下の内容だ。
<平和主義の柱である9条の行方が懸念される。
 自民党は国会の憲法審査会で議論を行い、来年夏の参院選後に最初の改憲発議を目指す。大規模災害時などに特例を定める「緊急事態条項」など、抵抗の少ないテーマから手を付けたうえで、本丸の9条改憲に進む案が論じられる。
 与党の一存で強引に前に進めるのではなく、冷静な議論を積み重ねていくことが大事だ。一度改定を経験すれば、9条改憲は容易だという発想は認められない。
 憲法は不磨の大典ではない。改憲のための議論ではなく、人権や生活を守る上で不具合が生じたならば、その実態に応じて改定を論議すればよい。
 いまの憲法が戦勝国の押しつけだとの主張もある。だが国民主権や基本的人権の尊重、平和主義を根幹とする憲法は国民にすでに定着している。押しつけとの主張には意味を見いだせない。
 衆院憲法審査会の保岡興治会長は「政権や政策をめぐる対立から距離を置き、大局的な見地に立って議論すべきだ」と訴えた。
 そうであるならば、まず権力に縛りをかける「立憲主義」の確認を求めたい。縛られる側の権力者に都合の良い内容にしてはならない。憲法はだれのためのものか。この点があらためて問われる。>

 ブロック3紙の憲法記念日社説を読むと朝日、毎日に欠けている「力強さ」を感じる。各紙とも護憲にかける熱意は強い。東京(新聞)の場合、憲法社説は5月3日掲載のものだけではない。4月28日付朝刊の社説<防衛指針と安保法制 「専守」骨抜きの危うさ>から始まる。以後同30日付<日米首脳会談 物言う同盟でありたい>▼5月1日付<戦後70年 憲法を考える 「変えない」という重み>▼同2日付<戦後70年 憲法を考える 9条を超える「日米同盟」>と続く。すでに紹介した同3日付<戦後70年 憲法を考える 「不戦兵士」の声は今>は、憲法社説シリーズの最終回の意味を持つものでもあったのだ。

 5月3日付の「憲法記念日社説」に記述を戻そう。沖縄の県紙である沖縄タイムスと琉球新報も、5月3日付社説は憲法がテーマだ。沖縄タイムスは<[憲法記念日]戦争反対 血肉化しよう>、琉球新報は<憲法記念日 空文化を許さず 沖縄に平和主義適用を>がタイトルで、それぞれ熱意を込めた反戦・平和の主張となっている。
 こうして5月3日付社説を読むと、「護憲論の中心は朝日」といった過去の常識がいまや通じなくなりつつあるのではないか? といった想いが浮かんでくる。いちばん熱意を込めて護憲・平和論を展開しているのは東京新聞・中日新聞(社説に関して、両紙は共通のものを掲載している)であることは衆目が一致するところだろう。だからといって「東京・中日がリードして、地方紙のほとんどが護憲・反戦の社説を掲載する状況になった」とは言えない。
 しかし「新聞界のリーダーは朝日」という認識も「過去の常識」になりつつある。昨年8月以降の「朝日騒ぎ」にプラスの面があるとすれば、これだけではないか。
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■【第2のテーマ=沖縄は独立論へ動くか?】

 ほんらいは前号に書くべきことだったが、翁長雄志(おながたけし)・沖縄県知事と菅義偉(すがよしひで)官房長官が4月5日初会談した。また4月17日には翁長と安倍首相との初会談も行われた。
 ともに政府側は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設への理解を求め、翁長は口を極めて反論、「拒否」の姿勢を崩さなかった。翁長はその後、辺野古移設断念を米国に直接訴える構えだ。
 安倍政権としては、一昨年12月の総選挙で国民の支持を受け、民主党から政権を奪還したという自負がある。他方、翁長の側にも、昨年11月16日の県知事選で、辺野古移設への拒否姿勢をうち出して圧勝した自負がある。ともに妥協することは、有権者への裏切りとなってしまう。辺野古移設問題は、双方とも妥協が難しい問題である。

 翁長がスジ論を貫くなら、「沖縄独立」以外にあり得ないだろう。もともと琉球王国として、日本とは別の国家だったのが琉球である。14世紀には北山・中山・南山の3つの政治勢力が分立した三山時代となり、1427年に中山王による三山統一が成立。以後琉球王国となった。中国・朝鮮・日本と東南アジア諸国を結ぶ交易の中心地として繁栄していたとされる。
 明治維新後の日本政府は、1872(明治5)年、琉球藩を設置。琉球は日本領土と宣言した。しかし当時の琉球住民の中には清(中国)に渡航して、日本の支配を受け入れがたいと訴える者が多く、琉球帰属問題は日清間の外交問題に発展した。最終的には日清戦争講和の下関条約(1895=明治28年4月)」で、清が台湾割譲を飲まされたため、必然的に沖縄諸島は日本領として承認された形になった。
 辺野古移設をめぐる安倍政権と翁長県政の対立は、妥協の余地が無さそうに見える。対立を続けるなら、翁長県政は「沖縄独立」を掲げることになるかも知れない。それもまた一つの道と考えて行く必要があるだろう。
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■【その他】

 ◆英国総選挙での保守党勝利=5月9日投票の英国下院選挙で保守党が議席を大幅に上積みし、単独過半数を確保した。事前の予想では、保守・労働両党とも過半数に近い議席獲得は難しいとされ、新政権発足までには曲折があるとされていた。予想に反しての保守党勝利・労働党敗北だったわけだ。

 社会主義国家・ソ連の消滅は1991年末。その2年前、89年には東欧各国で「民主化革命」があい次いだ。この2つの事態によってソ連・社会主義圏諸国型の「社会主義」は崩壊したわけだが、それが社会民主主義を掲げる西欧の各党への影響が無かったわけはない。西独社民党も、英国労働党も政権から遠ざかって久しい。
 今回の英国労働党の敗北は、西欧型社会民主主義諸政党が、衰退に向かっているという歴史の流れを示すものではないか?

注)5月15日までの報道・論評を対象にしております。新聞記事などの引用は、<>で囲むことを原則としております。原則として敬称略です。

 (筆者は元毎日新聞記者)


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