【コラム】中国単信(30)

SMAP騒動から考えたこと

趙 慶春


 年明け早々、日本の芸能界は“SMAP解散か”とのニュースで激震に見舞われたと言っていいだろう。日本の各種メディアが一斉に取り上げたのは無論のこと、イタリア、アメリカ、中国、韓国、東南アジア諸国までも大きな関心を寄せて、報道するほどだった。いやそればかりか安倍首相までコメントを出し、SMAP人気のもの凄さを再認識させられた。

 筆者は芸能界の内情などには疎いし、ファン心理などといったものにもほとんど理解が及ばない。ただあまりの騒動ぶりを外野席から眺めていると、一連のSMAP騒動にきわめて冷ややかな反応と、それとはまったく逆に日本人には珍しく、かなりこの騒動に関心を抱き、自分の考えや立場を鮮明にしている人たちが多かったことが筆者には驚きだった。しかもSMAP解散に反対という結論は同じなのに、どこに視点を置くかで論旨がおおむね2つに分れていたのにも興味がそそられた。

 この2つとは、
 一つはとにかく解散してほしくないという嘆願論調
 一つは解散にまで追い込んだ犯人捜しの批判論調
 だった。

 ネット上で政治的なことから日常生活まで、あらゆる事柄で日中、日韓の人びとが自国の立場や優位性を主張し、しばしば激しく批判しあっているが、それはほんの一握りの人たちと言っていいだろう。でも表現が不穏当なのを承知で言えば、たかが芸能界の事で日本人同士がこれほど熱く声をあげることはあまり見たことがなかった。しかもかなり幅広い年齢層の多くの人たちが声を上げたのは、SMAPという超人気アイドルグループだったからこその現象だったにちがいない。

 だが、嘆願論調に対してもう一つの、犯人捜しによる事務所黒幕説は、冷静さを失っていなかっただろうか。なぜなら芸能事務所は慈善事業所ではなく、れっきとしたビジネス組織であり、利益保全から対抗措置を取るのは当然だからである。

 今回のケースでは、SMAP育ての親と言われるチーフマネージャーは事務所とは雇用関係にあるので、事務所とのトラブルは労使問題とも言えるだろう。一般企業で言えば、企業機密を知り尽くした営業部長が自分の部下や子飼いの自営業者を引き連れて、ライバル会社に移るのに似ている。これは信義上は許されないし、場合によっては法に触れる行為にもなるだろう。会社側からすれば、裏切り行為と映り、そうした行為を阻止しようとするのは当然ではないだろうか。

 一方、SMAPと事務所とは「自営業者」としての請負契約関係になる。つまり雇用関係ではないので、契約が切れれば移籍は自由である。したがって移籍(転職)すれば、昨日の味方は今日の敵となりうる。芸能界から締め出される可能性だけでなく、これまでとは異なるマイナス評価が加わることも考えられる。

 SMAPが事務所脱退から一転、謝罪、残留を選んだ理由は「事務所からのさまざまな圧力が加わるだけでなく、芸能界から干される」のを恐れたからだとも言われている。そうだとするなら、彼らは事務所離脱を決めた当初は自分たちの力を過信していたものの、結局は“寄らば大樹の陰”を選択したことになる。

 こうした過大な自己評価や過信はSMAPに限らない。一定程度の成功者にまま見られる現象で、典型的なケースとしては、組織力を自分の力と勘違いしたり、部下など周囲の支えを過小評価、ないしはそれらに気づかず自分の実力だと勘違いするという、およそ二つが考えられる。

 前者の例は大企業でよく見られる。要するに、企業の力を「個人の能力」と勘違いして、大企業の部長が「自分の人脈や取引先」を連れて独立する話は珍しくなく、過信による身の丈知らずが、独立後の事業破綻を招いた話は珍しくない。

 後者については、自信過剰の上に自己顕示欲や名誉欲が強い人に多く、往々にして人を押しのけたり、踏みつけたりして前に出ようとする。このタイプの人は部下には厳しく、上司には媚びて、“成功は自分の能力、失敗は他人の無能力”を決め込みがちである。

 自信過剰は往々にして単眼的で、浅薄な捉え方になりがちで、テレビなどのメディアによく登場するある批評氏は、大変お気軽に(と筆者には映るのだが)「事務所の奴隷になってしまったSMAP」という自説を展開していた。

 会社が新入社員を一人前に育て上げるには、それなりの資金と人力、そして時間を投入しなければならない。ところがようやく育成して、自社のために大いに力が発揮できる社員となったとたん、ライバル会社に転職されたのでは、そこまで育て上げた会社にとって、これほど痛い話はないだろう。IT業界でも、特に中小企業などでは自分の能力を少しでも高く売ろうとして、頻繁に転職を繰り返す技術者が少なくないそうである。そのため雇用者側は積極的に自社社員の育成をしなくなってきていて、仕事を下請けに回すという自衛手段に出ているところが多いとのこと。ところがやがてそのつけが回ってきて、現在この業界の不安定さが増大し、さらに技術者の質の低下、プログラムの質の低下を招き始めているというのは深刻な事態ではないだろうか。

 日本では、一旦労使トラブルが発生すると、基本的に立場の弱い被雇用者側に組みしようとする気持ちが強まる傾向がある。ところが愛社精神まで求めないとしても、会社での自己責任までも果たさないまま、ひたすら転職の機会を窺っている技術者の横暴さに困っている雇用者が決して少なくないことも事実なのである。

 今回のSMAP騒動は、特殊な社会での出来事であって一般社会と同じようには扱えない部分もある。したがって今回の決着で良かったのか、悪かったのか筆者には判断がつかない。またSMAPを悪者にするつもりもない。

 ただ芸能界という特殊な世界で生きる彼らの本当の姿、本当の実力が私たちに伝えられ、私たちも彼らの本当の実力でもって彼らを評価してきていたのだろうかと考えずにはいられない。
 彼らが背負ってきた栄光は掛け値無しの「彼らのもの」だと勘違いする仕掛けにはまってきてはいなかったのだろうか。

 この際、SMAPをSMAPたらしめるために「事務所の宣伝力」や「マスコミの持ち上げ方」によってアイドル化され、いつの間にかSMAPに「付加」されてきたあらゆるものをぬぐい去って彼らを見たらどうだろうか。思うに、SMAPという仮面を取り去り、一人ひとりの人間として見た方がSMAPにとってもむしろ幸せなのではないだろうか。

 今回の騒動からファンもSMAPを等身大で見ようとする姿勢こそが、彼らをより人間として成長させることになりはしないだろうか。そして一部メディアで囁かれているように、メンバーの間にすでに亀裂が生じているなら、ファンの“要望”で「SMAP」を存続させたとしても長続きは難しくなるだろうし、彼らを辛い立場に追い込んでいくのでは・・・。

 どうやら今はそっと静かに見守ることがSMAPにとって、いちばんありがたいのかもしれない。

 (筆者は女子大学教員)


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