【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ラフサンジャニ元大統領の死去とトランプ米大統領の登場に揺れるイラン

荒木 重雄


 イランで1月、ラフサンジャニ元大統領が死去した。穏健派の後ろ盾として、米国を含む諸外国との融和に力を注いできたこの重鎮の死は、折からの、イランを敵視するトランプ米大統領の就任と併せ、せっかくのオバマ前大統領の外交的遺産として実った、イランが核開発を抑制する見返りに国連が制裁を解除する米欧中ロ6か国との合意=イランの国際社会復帰が覆り、再び米欧との関係悪化、ひいては中東の不安定化に繋がる事態も懸念される。
 そこで、イランと米欧との歴史的関係、そして、そこでのラフサンジャニ師の役割を、改めて振り返っておきたい。

◆◆ イスラム革命に至る道程

 20世紀の初頭以来、英国は、アングロ・イラニアン石油(AIOC)を通じて、純利益の僅か16%をシャー(国王)の取り分とする条件でイランの石油資源を丸ごと手に入れていたが、1951年に登場したモサッデク首相は、こうした植民地的不公正を断ち切ろうと石油の国有化を図る。
 モサッデク型資源ナショナリズムが周辺諸国に波及することを懼れた米国は、英国とも謀って、イランを石油市場から締め出すと同時に、CIAを通じて「モサッデクは共産主義者」と宣伝し、軍部をそそのかしてクーデターを実行させ、モサッデクを逮捕・失脚に追い込んだ。
 これがイランと米国との出会いである。

 この工作でイランの実質的な支配権を手に入れた米国は、国王パフラヴィ・シャーを傀儡政権に仕立てあげ、CIA仕込みの秘密警察を手足としたこの独裁政権にイスラム勢力の弾圧と欧化政策を強行させる一方、石油収入の殆どは、米国から派遣された軍事・経済顧問たちの「助言」によって米国の兵器と商品の購入に当てられるシステムをつくりあげた。
 米国の兵器で軍事大国化したイランはまた、中東における米国はじめ西側諸国の権益とイスラエルの存在を守るため、アラブのイスラム勢力に睨みをきかせる「ペルシャ湾の憲兵」の役割を担うことにもなった。

 しかし、こうした米国の政策と、それに追随する王族・特権層の腐敗や、市場経済化がもたらした格差の拡大とイスラム的価値観の破壊に対して、民衆の反発がしだいに高まり、反体制運動が相次ぐようになる。とりわけ78年からの大規模な民衆蜂起によって翌年2月、ついにシャー政権は倒されて、長らく追放されていた反体制運動の象徴的指導者ホメイニ師が帰国した。

 弾圧に抗して社会の変革をめざす民衆運動が拠りどころを求め、イスラムがそこに嵌め込まれて高揚をもたらした。これがイランの「イスラム革命」である。

◆◆ 敵視政策に包囲されて

 「イスラム革命」の波及を懼れた国際社会は一斉に反イラン・キャンペーンを繰り広げた。とりわけ経済的・軍事的利権を失ったうえ大使館を占拠される屈辱をなめた米国の怒りは激しかった。

 その意を汲むように80年、サッダーム・フセインのイラクがイランに侵攻し「イラン・イラク戦争」が勃発する。すると、対立していたはずの米ソをはじめ、自国の民衆のイスラム・パワーを恐れる周辺アラブ諸国までがこぞって、兵器・資金・情報・外交などでイラクを支援し、米国は石油基地や船艇、旅客機の攻撃など直接手も下したが、イラン・イラクの消耗戦は雌雄を決せぬまま8年を経て終結した。

 その後も米国はイランを「テロ支援国家」に指定し、米国企業による貿易・投資・金融の禁止から、米国以外の企業による石油・ガス開発への制裁、さらにはイランからの原油輸入そのものへの制裁まで、国際社会を巻き込んだ敵視政策と締めつけをエスカレートさせていった。

 こうした過程で、米国とイスラエル、親米アラブ諸国がもっとも恐れたのが、核兵器保有にも道を開きかねないイランの核開発であり、紆余曲折を経た一応の決着が、冒頭に述べた2015年7月の合意の成立であった。

◆◆ 強硬派・穏健派が反復するイラン政治

 ラフサンジャニ師は、ホメイニ師の右腕として79年のイスラム革命を成し遂げた「革命第一世代」宗教指導者である。革命後は治安や国防を担い、イラン・イラク戦争では、軍の実質トップとしてホメイニ師を説得して停戦に導き、ホメイニ師の死後は知名度の低かったハメネイ師を最高指導者に引き上げ、自身は大統領に就任して、以後、ハメネイ師とラフサンジャニ師の二大指導者のバランスによってイランの政治的安定を保ってきた。

 イランの政治勢力は大きく二つに分かれる。一つは「保守強硬派」であり、もう一つが「保守穏健派」である。「保守強硬派」が自主独立を重んじてイスラムの教えに厳格な社会をめざすのに対し、「保守穏健派」は宗教に必ずしも囚われず対外融和を含む現実主義路線をとる。「保守穏健派」の左には、さらにもう一つ、より欧米寄りの「改革派」があるが、「保守強硬派」を代表するのがハメネイ師であり、「保守穏健派」を代表するのがラフサンジャニ師であった。

 この二つの路線は、国際社会のイランへの締めつけの度合いとも連動しながら反復交替する。ラフサンジャニ師は2005年の大統領選で最強硬路線を主張する革命防衛隊出身のアフマディネジャド氏に敗れ失脚するが、13年にはラフサンジャニ師が保守穏健派と改革派をまとめて直系の弟子ロハニ氏を大統領に押し上げ、このロハニ政権とオバマ米政権が協調して整え上げたのが件のイランとの核合意であった。

 この5月には大統領選がある。ロハニ氏再選が有力視されてきたが、これまで見たような歴史を顧慮すると、ラフサンジャニ師の死去による穏健派の勢力減衰の一方、核合意破棄を公言してイラン敵視を顕わにするトランプ米大統領への反発から強硬派の台頭が予想され、先行きは不透明である。
 もし、アフマディネジャド氏など強硬派政権が再登場すれば、挑発的言辞を繰り返すトランプ政権の米国をはじめ、これまで正面衝突を避けてきた、イランを「最大の脅威」と警戒しトランプ政権が「空前の取り組み」で安全保障を約束するイスラエルや、シリア内戦やイエメン内戦で「代理戦争」を戦っているサウジアラビアとの関係が険悪化して、中東全体の不安定化に繋がることも予想される。すでにその兆候は表れている。

 (元桜美林大学教授)


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