■ 【エッセイ】揺れる移民の国              武田 尚子

  第五章 「カサ デル ミグランテス―移民の家」 
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思いがけずまきこまれた移民問題の迷路から出口を求めていた私に、ロスアン
ジェルスからサンデイエゴ旅行の計画がふってわいたのは幸運だった。サンデイ
エゴから、本当はユマまで行ってみたいが、せめてメキシコ国境のテイフアナか
メキシカリまで足を伸ばすことができれば、非合法移民の通路を自分の目で見る
ことができるのではないだろうか。メキシコ側からの生の声は、新しい視点を与
えてくれるかもしれない。

幸運が幸運を呼び、サンデイエゴの友人の好意で、テイフアナにある「移民の
家」を紹介していただけることになった。おまけに、通訳のできる人まで付けて
くださるという。テイフアナへの一泊旅行に賛成してくれた夫と、サンデイエゴ
から張り切って車をスタートさせた。

サンデイエゴからテイフアナまではせいぜい五〇キロの道程である。ラッシュ
アワー後のハイウエイは快適で、通訳者と落ち合うはずの、メキシコ入国直後に
あるというタクシーのたまり場は、難なく見つかりそうに思えた。ところが、メ
キシコに近づいたことははっきりしているのに、入国審査の関門がいつまでたっ
ても現れない。

スペイン語の道路標示ばかりが出てきても、旅券をチェックする審査官の影も
ない。メキシコにはどうやら無審査ですべりこんだらしいと結論したときには、
通訳者と出会うはずの地点はとっくに過ぎてしまったようだ。

通りすがりの大きなアメリカの店コスコの駐車場にレンタカーをとめ、タクシ
ーを呼んでもらい、約束の国境至近のタクシー乗り場に行こうとした。驚いたこ
とに、外国に入ったかどうかさえわからないほどのんびりしたメキシコへの入国
時と違って、アメリカとの国境に向かう車が、気の遠くなるほど長い列になって
のろのろと動いている。

私たちのタクシーは、その三列の中の特別車線を走れるものだったから、長い
渋滞の後うまく左折して、テイフアナの町に入ることはできた。国境を越えると
通用しないはずのモビール電話にすがりつき、やっきになって試みているうちに
ふと電話がつながり、コスコを指定して通訳の人とようやく会うことができた。
一時間以上もタクシーでさまよった挙句のことである。

先ほど大あわてで駐車したレンタカーを見つけようと、巨大な駐車場を探しま
わっていると、いつの間にか寄ってきた大男が、何色のどんな車だ、一緒に探し
てあげようといって勝手にとび廻り始める。おまけにこの駐車場の警備員らしい
男性が二人、多少色めきたってやってきて「車を盗まれたのですね?」という。 

「盗難は多いのですか」と聞き返すと、「ええ、まあ」と言葉を濁した。思った
よりかなり離れた所で車は無事に見つかった。私の思い違いである。さっきのお
じさんがぬかりなくやってきて、今度は「クリスマスをどうぞ」とねだる。こと
の全体が、メキシコ国境の町らしい情趣を味わわせてくれたのに満足して、いさ
さかのクリスマスを手渡す。十二月二三日のことだった。

通訳のオスカーの話では、私たちが気づかずに通り過ぎた入国の関所は存在す
るが、大げさな構えはなく、アメリカ人観光客は金を落としてくれるのでたいて
い無審査で通す。疑わしい車には赤ランプの警報でストップをかけ、旅券や保険
のチェックがあるという。メキシコ政府の公然たる差別策になんとなくわり切れ
ない気持ちを抱く。

友人に紹介された移民の家は「カサ デル ミグランテス」と呼ばれる大きな
白亜の建物だ。空の青を切りぬいて高く立つ全容はふと、キリコの絵を連想させ
る。その前にはミニバスがとまり、十数名の男女がたむろしてドアの開くのを待
ちあぐねている。アメリカから密入国者として送り戻されたメキシコ人なのだ。
一人ひとりの顔に失意がはりついている。近くの一人に「こんにちは」と声をか
けてみるが、顔をそむけられた。

正門の扉の上方には次の言葉が赤文字で大きく打ち込まれている。
◇◇スカラブリーニ センター◇◇ 
私はさまよう異国の旅人
あなたはその私を迎え入れてくださる

扉の上部は格子になっていて、内部の人と顔を合わせ、話ができる。来意を告
げると、すぐに招じ入れられた。道路に面した正面をのぞく建物の三辺が、中庭
をめぐって三階建てになっていて、二階と三階には手すりがめぐらされている。
その手すりいっぱいに、格子や花模様のうす手の毛布が干されている。

中庭のタイルの床には、大きな棕櫚の鉢とベンチがいくつか置かれて、それぞれ
に二-三人の被送還者が身を寄せ合っていた。全体の感じはひろびろと明るい。
この施設の所長である神父ケンジエルスキーは、四五歳くらいだろうか。人工
毛のカラーのついたジャケットに黒ふちのめがねで、いくらか神経質そうだが、
温顔である。簡単な自己紹介をして、早速この施設、神父ご自身とここに働く人
々について聞かせていただく。

「私はもともとポーランド人だが、ブラジルで神学の勉強をした後カナダに行
った。僧職についていくつかの教会で働いた後、以前から評判を聞いていたこの
施設で働きたいために、メキシコにやってきた。この“移民の家”は一八八七年
にスカラブリーニというイタリア人の神父によって創立され、アメリカに向う移
民を独立できるよう精神的物質的にサポートすることを目的としてきた。政府か
らの補助金と会衆や慈善組織の寄付、ボランテイアの助力で経営を支えている。

私はこの移民の家に来てから一四年になる。ここでは最高一八〇名の宿泊がで
きるが、経費の関係もあり、ボランテイアとスタッフが多数いることもありで、
移民客は常時四-五〇名だろうか。ミニバスで毎日国境に行き、アメリカからバ
スで送還された非合法移民をつれて帰る。中には犯罪者も珍しくない。彼らはこ
こで三度の食事を与えられ、一二日間滞在できる。そのあとは自立すべく、それ
ぞれが方向を見つけねばならない。」

神父に、近年アメリカに来るメキシコ人、中南米人の非合法移民が激増したの
は何故だと思われるかと質問してみる。「非合法移民はこの家の創立当時から存
在していたのです。近年はそれがいろいろなメデイアの活動で、事実以上に仰山
に報道されているのではないだろうか。

つまり彼らの知られていなかった行動がメデイアのおかげで表面化したといって
もよいでしょう。」というお返事だ。正直いって、それには満足できない。密入
国者の実数はおおいに増しているのだから。

「アメリカに来ることが、メキシコ人にとって一番容易に見える生活の改善法
であっても、激増するメキシコの非合法移民を多数抱えることには、アメリカに
も種々の深刻な問題があります。それ以上に、国境越えのためにメキシコ人の遭
遇する危険もコストも日々に大きくなっている現在、メキシコ政府はもっと自国
民の福祉に対する責任を果たすべきではないのでしょうか」と思い切って口に出
す。

神父は腕を上げてジェスチュアをしながらいわれた。「アメリカの富とメキ
シコの富には、政府の力でどうにもならないほどの差があります。われわれが最
終的に望んでいるのは、アメリカとメキシコの富力がもう少し近づいてくれるこ
とだ。

この国から出て行く人たちは、極度の貧しさに追われているのです。家族や国
を捨てて、異国に日陰者になって暮らしたいと思うものなど一人もいないのです。

この大きな格差が厳然と存在し、いちばん困っている人たちに最低限の富さえ行
き渡らないあいだは、苦しんで逃げ出したり送還されたりした人々を、人間らし
い思いやりで助けることが私たちの役目であり、この家はまさにそれをしている
のです」と。

神父はご自分の関わっている「移民」という雑誌をひろげて、そのページを通
訳の人に訳すようにと促される。さまざまなメキシコ人の声が寄せられている。
たとえば今アメリカが建設しようとしている国境の壁にたいしては次のような投
書がある。

「神が結び合わされたものを、人間が分かつことなど不可能だ。」
「壁は分裂と、不名誉と、不正と恥辱を表すもの、緑なす地球をわけ隔てるも
の、ちりあくたに等しい。それはアメリカの若者が、不正と罪悪のもたらした結
末を見ることができぬよう、高く築かれる。つまりそれは、分離の象徴、人類最
大の悪徳だ」

ここでも私は、アメリカ人とメキシコ人の認識の違いの大きさに戸惑いを覚え
る。メキシコ人がどう考えようと、アメリカは彼らの国ではない。しかしメキシ
コ人の中には、一八四六年のメキシコ戦争でアメリカがメキシコの半分を不正に
奪い取ったと主張し、それがいまだに民族の記憶としてメキシコ人の心にあると
いう人もいる。

その理屈に従えば、移民は単に自分たちに属するものへの権利を行使している
だけだということになる。実際、そういった歌詞のロックさえあるのだ。アメリ
カに貸しがあると信じるからこそ、メキシコ人はアメリカ密入国を不正とは思わ
ず、アメリカ側も形だけは移民法をつくっても、厳しい施行をしないできたとい
う部分があるのだろうか。まさか! しかしこのことについてはさらに考えて見
たい。神父にもっと質問したかったが、ほかの約束のために座を立たれたのは残
念だった。

私は、非合法移民を救うことにやはり生涯をかけている神父レオのことを思い
出していた。リオ グランデに近いメキシコ国境の町、ヌエヴォ ラレドのレオ
神父の僧衣は裂け、靴は破れ、四〇〇ドルで買った中古車は教会の仕事で休むい
とまもない。神父自身は自転車で、アメリカへの密入国を企てる人や、その試み
で傷ついた人たちのために食料の確保に走り回り、パンや肉や野菜の大きな袋が
いっぱいになると、意気揚々と帰路につく。

教会の外には夜を過ごす移民たちのために古いマットレスがいくつか置かれて
いる。彼の個室は、移民女性のために解放された。神父自身はバスもトイレも公
共用の教会の施設で間に合わせる。レオ神父がこの町に赴任したときには、前任
地から、会衆の家族を乗せた六〇台を越す車が長い列になって続き、ヌエヴォ 
ラレドの教会まで涙の別れをしにきたという。

この新任の教会でも、神父のやり方には賛否両論が渦巻き、相当数の中流の会
衆が教会を去った。しかし説教よりも行動でキリストの教えを示す神父に心酔す
る人は多く、今では会衆の三分の二が神父を支持しているという。

中庭にいる何人かの被送還者と自由に話してよいという許可を得ていたので、
はじっこのベンチの一人にまず声をかけてみる。ルイスは小柄で細身の、顔立ち
のはっきりした若者である。彼は家族とともに十二歳のとき、テイフアナから国
境を越えてアメリカに行った。両親は抽選でアメリカの永住権を得たが、自分は
いまだに非合法だ。

しかしアメリカには十二年住み、学校にも行き、そのあとはずっと働いてきた。
毎日いろいろな仕事に就くが、決まって乗るバスに三ヶ月前警官がどやどやと入
ってきた。非合法移民の摘発で、書類を見せろという。自分は五〇ドルもする偽
の書類を、一度も入手したことがないので捕まって、十二歳のとき袂をわかった
メキシコに送り返された。結婚して子どもを得た後、妻が二年前に死んだので、
今はアメリカの父が、六歳になる息子を育てている。

メキシコとはとっくに縁が切れているから、帰る故郷もない。しかし何よりも
息子の顔が見たい。どんなに恋しがっているだろうと息子の顔がちらついて、夜
も眠れない。アメリカに帰るには、コヨーテに頼るしかないが、その金をどうや
って稼ぐか。ボランテイアとして夜警をやっているので今はここにいさせてもら
える。だが、早くアメリカに帰りたい。毎日そればかり思い暮らしています。

ルイスの英語はよくわかり、その善良そうな頬を涙が伝わるのを見て、私の気
持ちもしめってきた。私に何ができるだろう。とにかく、アメリカに長く生活し
た印しになるものをすべて保存しておいたらどうだろう。偽の番号でも良いから
社会保障番号をもち、非合法移民の多くがしているように、給料から税金も社会
保障費もちゃんと払い、その証拠をみな持っておくことが「ひょっとしたら」役
に立つかもしれないとだけいった。

ルイスは必死で聞いている。共和党の提案にしたがって、現在アメリカにいる
一二〇〇万の非合法移民をみな母国に送り返すことも、犯罪者として刑務所にい
れることも、現実には不可能だと思える。当時のブッシュの提案では、新しいゲ
ストワーカープログラムを作り、税金や社会保障料、あるいは罰金に相当するも
のを納めた非合法移民には市民権への道を開くという。

それに類似した案が、近い将来国会をパスする日がないとはいえない。失意の
ルイスを何とか励ましたいあまりに、メキシコで仕事を見つけたらという代わり
に、いつの間にかこんなことを本気で話している自分に驚いたのだった。その
後、親がアメリカから母国に送還されたために置き去りになった子どもたち多数
の苦境を新聞で知ることになった。

三〇代半ばに見えるアレックスの話も印象に残った。彼も九歳のとき家族とテ
イフアナから国境越えをしてアメリカに入ったという。なにしろ八人兄弟に両親
の大所帯で、越境直後二度捕まりメキシコに送り返されたが、三度目には成功し
た。二〇年以上もアメリカに住んでいて、自分も家族もみな合法移民になった。
兄弟同様、自分も高校を卒業している。

しかし自分はまちがいを犯した。面白いと思って友達とやったことで捕まって
しまった。(彼の犯したまちがいどんなものであったか、水を向けてはみたが、
話してはくれなかった。)そして拘留中に、腹部のガンに冒されていることがわ
かり、病院に送られ、手術を受けた。手術後長いあいだ化学療法を受けたが、つ
いにそれも終わる。

そのあと三ヶ月ごとに医者の検診を受けるよう指示されたので、あまり肉体を
動かさないですむフォークリフトのオペレーターになった。三度目の検診が終わ
ったとき医師は、もう大丈夫だ、来なくてよろしいという。そこで病院を出よう
とすると、警官が待ち伏せしていて、非合法移民として自分を捕らえた。

「まちがいを犯した」とき, 二〇一一年まで期限のあったグリーンカードを取
り上げられたので、非合法移民に逆戻りしていたのだ。メキシコに行ったら、病
院の費用が政府もちではないので到底支払えないと抗議したが、きいてはもらえ
ず、ともかくメキシコに送られてしまった。この「移民の家」にはあと三日間い
させてもらえる。ここに来てから人権協会にも行って働き口を探してもらうよう
頼んだが、何の音沙汰もない。

一つ望みを持っているのは、韓国の大企業サムソンが人を探していることだ。
自分はスペイン語と英語の通訳もうまくやれるし(彼の英語はまったくアメリカ
人並みである)フォークリフトの操作ほかのしごともできる。面接には行きたい
が、出生証明書がいるという話だ。それはアメリカの母親の所にあるので、それ
を見せないとはねられるだろう、それで悩んでいると言う。本当に出生証明書を
お母さんは持っているのかというと、持っているという。

ではすぐ電話して、至急便で送ってもらうことだ。サムソンは「あなたの能力
が彼らの求めているものならば」待ってくれるはずというと、彼は顔を耀かせ
て、そうだろうか。

それなら今日さっそく母に電話する。僕は母の末っ子、ベイビーなのです。母は
ぼくのためなら、できることは何でもしてくれます。今日はあなたに会って元気
をつけられた、とても良い日でした。としっかり手をにぎり、あの過ちさえな
かったらなあ。今、ほんとに高い付けを払っていますと、無念そうだった。

アレックスの話には不明瞭な所がある。どんな罪を犯して服役したのか。その
刑期が終わったのか終わっていないのか。終わっていなければ、病院の治療がす
み次第、また拘留されるのではないだろうか。ひょっとすると、刑務所が満員で
出された一人なのだろうか。彼の言うとおり、グリーンカードを取り上げられた
ので非合法移民としてメキシコに送還されたのなら、少なくとも犯罪者としてで
はないはずだ。おそらくそれが本当のところなのだろう、と私はきめた。

その翌日、男性専用のこの家とちがい、女性のいる移民の家に紹介してもらえ
るかともう一度立ち寄ると、アレックスは昨日と同じく中庭のベンチに座ってい
た。メキシコにはめずらしい寒い日で、ふわふわしたベルベット状のまっ白なジ
ャケットを着ている。ほかにもそれにくるまった人がいたから、移民の家で提供
されたにちがいない。アレックスは私を認めるとすぐ、昨日母に電話して、出生
証明書と高校の卒業証書を送ってもらっている。

一日で着くそうです。とうれしそうに笑った。技能も今以上に習得できそうだ
し、人生をやり直そうという意欲も十分ある人が、昨日まで、お母さんに電話し
て証明書を送ってもらわなかったのはなぜだろう。金なしで捕まって、電話カー
ドが買えなかったのか、あるいは、これまでの人生で遭遇したでもあろう拒絶の
体験が、試みる前にすでに彼に諦めを教えたのだろうかなどとは後で考えた。

僕はもうメキシコで暮らすつもりです。くよくよびくびくしながら、非合法移
民としてアメリカで暮らしたら、何よりガンを悪化させるだろうから、という。
彼がなんらかの罪を犯したとしても、母親との結びつきが彼を立ち直らせるはず
だ。サムソンが彼を雇ってくれますように、でなければ何らかの幸運が早く彼を
訪れますようにとこころに深く願いつつ、さよならをいった。

ジョージは、アレックスと同じ毛糸編みの黒い帽子をかぶっている。どちらか
というと小男で、ごく平均的なメキシコ人に見えるが、ちょっと人を寄せ付けな
い硬い表情だけが、彼の顔をきわだたせている。声をかけられるのを待っていた
かのように、あっちの部屋に行きましょうと玄関脇の個室に先に立っていった。

英語はまったく正確とはいえないが、少なくとも語彙はとても豊富である。
「おれはあいつらとは違う」と中庭の移民たちにあごをしゃくってみせる様子で
彼自身、かなり自分の頭脳に重きをおいているようすがみえた。

ジョージは一〇年前にアメリカに密入国した。四年間レストランで給仕を勤め
た後コックに抜擢され、一日一〇〇ドルの賃金を得ていた。ある夜仲間と酒を飲
んだ後、まだ開いているマートに買い物に入った。深夜に近く、彼らのほか客は
いない。必要なものを物色してキャシャーにもって行く。と、すでにそこにいた
仲間が、いきなりナイフを出して、レジにいる男を刺すのを見た。

仰天したとたん、警報装置があったらしく、たちまち警官が飛んできた。仲間
を売りたくはなかったので、「自分は彼の行為を目撃したにすぎない」と主張し
なかったのが仇になった。共犯者にされたのである。下半身に傷害を与えた場合
には殺人未遂になることも、彼はこのときはじめて知った。結局、殺人未遂で七
年の刑を宣告され、ふるまいのよさで次第に軽くなり、三年半で出てきた所を、
非合法移民として捕まってメキシコに送り返された。

メキシコで働けば一日一〇ドルだ。そんな金でどうして暮らせる?おれはどう
してもアメリカに帰る。帰って見せると力む。

生まれてはじめて、殺人未遂のレッテルを張られた人を前にしていると知って、
わたしはすこしばかり緊張した。しかし話に夢中になった彼の顔が、時として若
者らしい生気と、シニカルな第一印象に似合わない純真さを垣間見せることに気
づく。

本当に人を殺そうとした人間なら、気軽にそんな体験を話したがったりはしな
いのではないだろうか?そんな罪に落ちたり落とされたりするのは、衣食住の心
配のない人間と別世界に住む人たちにはめずらしくない、不運の重なりだったの
ではないかと、彼の言い分を信じる気持ちに傾いていった。施設を見学していた
夫が少し前に話を聞きに来ていて「つらい話だね」と私にささやいた。

ジョンは背が高く、浅黒い顔がいくらかニヒルな感じを与える美男子だ。彼は
名前を聞いてもすぐには教えてくれず、ジョンという名も本名かどうかは疑わし
い。口数は極度に少ないが、質問に答える形で少しばかり自分のことを話してく
れた。
彼は結婚して二年目の妻と口論して「ほんのちょっと手をあげた」のだという。
ところが妻が大声でわめき、「こともあろうに同居中の姉が」警察に通報したの
で、すぐに警官がやってきた。そして妻と姉が虐待だと口を合わせ、自分は拘留
され、挙句の果てはごらんのとおりメキシコ送りだという。

おそらくそれまでに何度もあった家庭内暴力の積み重ねが、ついに警察沙汰に
なったのか、あるいは警察沙汰そのものも何度目かなのではないだろうか。短時
間の会話で、ジョンはそれ以上ルイスやアレックスのようにこころを開いてくれ
そうもない。またアメリカに帰るのかときくと、黙ってうなずく。

神父の話でも、ここに送還された人のほとんど一〇〇%が何度でも北方行きをは
かるということだった。9.11以来、厳しくなりつつあるアメリカの移民政策
とメキシコの移民奨励と見えるやり方は、どこで折り合うことができるのだろうか。

訪問許可を依頼していた女性のための移民の家は、最高責任者が遠出の日に当
っているということで、残念ながら訪ねられなかった。けれどもあの晴れた日に
ケンジェルスキー神父や、密入国者の素顔に触れた体験は、いまだに生々しい感
情とともによみがえってくる。

困窮した人々を助けるための、僧職者たちの無私の活動には感動させられる。
しかし疑問もわいてくる。メキシコ政府だけでなく、神父らの仕事もまた暗黙の
うちに、恵まれないメキシコの人々にアメリカへの密入国を奨励しているように
みえる。神父には、そして密入国者には、彼らの直面する生命の危険が十分に伝
わっているのだろうか?取締りが厳しくなるにつれて、越境にはますます危険な
地帯が選ばれていることも、コヨーテの甘言を決して信用してはならないこと
も、はたして彼らにはわかっているのだろうか?

神父たちは、アメリカの貧困層の職や生活が、メキシコや中南米からの非合法
移民のために脅かされつつあることをご存知なのだろうか。かなり気軽に「北方
行き」を企てるかにみえるメキシコ人はいうまでもなく、神父らの脳裏には、全
世界の知っていたアメリカ、 移民を迎え、その夢をかなえる事のできたかつて
のアメリカのイメージが、そのまま温存されているのだろうか? 

メキシコには、地の塩と呼びたい神父や牧師が、ほかにも何人かいられると聞
く。多くのアメリカ人の思惑をよそに、ますます増える非合法移民を助けるため
に、レオ神父ほかの教会は施設の拡充をはかっているという。

いやいや神父らは、なくてはならない救済の仕事をしていられるだけなのだ、
と私は思い直す。神父に手渡された雑誌「移民」には、「私はここにじっと留
まって、じりじりと飢えと貧苦に殺されるよりも、むしろ越境の旅の冒険で、水
平線を見ながら一思いに死ぬ事を選ぶ」という若い女性の手記さえあった。家族
と共に越境したやさしいルイスの、今日に尾をひく日陰者の悲哀を思いやらずに
はいられない。

アメリカの富力とメキシコの富力がいくらかでも近付くことを望んでいるとい
う神父のお気持ちはよくわかる。しかしそれ以前にメキシコ政府は、アメリカを
貧困者の不満のはけぐちとして使う怠惰とエゴイズムからぬけだして、一握りの
超富豪に独占されているという、ラテンアメリカでは富裕国メキシコの富の、も
っと公平な分配を考えるべきではないか。 

メキシコでは、改革が叫ばれて久しいというのに、一向にそれが実現されない。
非合法移民のメキシコ出国が止まらない限り、改革はけっして実現しないだろ
うと、私は考えはじめていた。国民がもとめ、政府が本気で取り組まないかぎ
り、人々は時間のかかる改革よりもアメリカ行きを選ぶにちがいない。

また思う。メキシコに必要な改革を遅らせているかもしれない神父らの仕事や、
メキシコ政府の怠慢だけを一方的に責めるわけにはいかない。アメリカに需要が
あるからこそ、密入国者はやってくるのだから。

たとえばアメリカをはじめとする先進国は、後進国での年少者の労働をしばし
ば非難する。七〇年代初頭のインドや当時のセイロン、メキシコなどを旅したと
き、金を乞い、重い荷物を運び、親とともに行商の車を押すいたいけな子どもた
ちを見てよく思った。国に力がなく、年少者を働かせなくともすむ福祉の制度が
ない国で、子どもを働かせるなという方がよほど過酷ではないか? 

少年保護法がどううたっていようと、子どもたちは飢えるよりも、喜んで、働
くほうを選ぶだろうと。であれば、アメリカの雇用主が求め、メキシコ人が危険
を犯してまで満たそうとする労働力を彼らに期待するのは当然であり、両者の利
益になるではないか。問題は、現在押し寄せている大量の非合法移民をも、アメ
リカは消化し、国の栄養にする意図と力があるのかを問うことになりそうだ。

           (筆者は米国・ニュージャーシー州在住・翻訳家)

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