【コラム】
槿と桜(31)

梨花女子大学総長退陣要求運動から思うこと

延 恩株


 『オルタ』152号(2016年8月20日)に、私は「「未来ライフ大学」と韓国梨花女子大生の座り込みデモ」という一文を書きました。
 しかしその後の韓国は、梨花女子大学の騒動が一国を襲う激震の前兆に過ぎなかったのかもしれないと思えるほど、私の予想を遙かに超えるものとなってしまいました。
 梨花女子大学総長の退陣どころか、朴槿恵(パク・クネ、박근혜)大統領が2017年3月10日に憲法裁判所から大統領罷免を認める決定を下されてしまったのですから。

 ところで梨花女子大学学生による総長退陣要求運動とその後の一連の動きを追ってみますと、韓国の権力構造と大衆運動の様相が日本とはかなり異なっていることが見えてきます。ここには大統領罷免にまで至ってしまった韓国という国の体制にもつながる、共通している基盤があるように思います。

 そこで今回は梨花女子大学騒動に沿いながら、なぜこのような問題が大学という場で起きたのか見てみようと思います。
 一つの大きな要因になったと私は思っているのですが、日本の大学と違って「教授会」というものが韓国の大学にはないことです。

 国立大学にはそれでも「教授会」はありますが、非公式組織です。公式組織は評議会で、最高の意志決定機関です。私立大学での最高意志決定機関は理事会と財団です。つまり教学側の意見や考え方はかなり制限されることが一般的です。そしてどの大学も学長が強大な権限を持っています。

 私もいくつかの韓国の大学総長とお会いしてきましたが、どの大学も日本とは比べものにならないほど大きくて立派な総長室があり、必ず秘書団と言っていい、役割分担をしているらしい多くの秘書が控える部屋が総長室に隣接して置かれていました。そのほか大学首脳部が使う会議室も総長室と連結しているのが一般的でした。
 どこの大学でも秘書長らしい人物がいつでも総長の指示を受けられるように常に総長近くにいました。そして一つのミスも犯してはならないといった緊張感を漂わせていて、総長の権限が相当強いことが私のような外部の人間にも窺えました。

 韓国の大学には「教授会」はないと書きましたが、「教員会」のような組織を置いている大学はあります。ただしその場合でも、構成員は教授だけというのがほとんどです。ですから教員の意見が職位に関わりなく、公平に反映される機会や場はほとんどないと言っていいと思います。

 日本の大学では教授、准教授、専任講師(あるいは助教)で構成される「教授会」の承認を得ないで大学を運営することはかなり難しく、梨花女子大学の「未来ライフ大学」設置に絡んだ問題なども日本の大学だったならば・・・とつい考えてしまいます。

 もっとも日本では、特に国立大学に対して文部科学省は学長の強いリーダーシップを発揮させる目的から、2014年に「改正学校教育法及び国立大学法人法」を成立させました。
 これによって教授会は大学運営について決定する機関ではなくなり、学長の諮問機関と位置づけられました。さらに教授会は学生の入学、退学、卒業、学位授与などの教育、研究に関わる事項についてだけ、審議、決定するという限定化が図られました。

 わかりやすい例が教員の人事でしょう。これまでは教授会の承認を得さえすれば、決定が覆ることはほとんどありませんでした。現在は名実ともに最終決定権者は学長になっています。ただし「学校教育法」の方は、「国立大学法人法」とは異なり、国立大学だけでなく私立大学にも及びます。各私立大学による独自の判断が加わりますので、バラツキはあるようですが、教授会の権限を教育、研究面に限定しているところが多くなっているようです。

 これでおわかりのように韓国の大学では日本とは比較できないほど学長の強いリーダーシップによって大学が運営されています。つまり日本の文科省は、学長の強いリーダーシップを発揮させて、懸案事項を速やかに決定し、実施させようと、いわば韓国的な大学運営の推進を目指して2014年に舵を切ったと言えるかもしれません。

 そのような時、皮肉なことに伝統と格式、学力レベルで韓国随一の梨花女子大学で今回のような総長退陣要求運動が起きたわけです。ただ私は、女子大学として韓国では最高峰と見られている、難関大学の梨花女子大学だからこそ起きた事件だったと思っています。事実、政府の支援事業となった社会人大学構想はいくつかの大学でも設置に動いていたのですから。

 今回の梨花女子大学の総長退陣要求運動の先頭に立ったのは教員ではありませんでした。『オルタ』152号で書きましたように、「未来ライフ大学」という主に社会人を対象とした単科大学(学部)の新設に疑問を抱いた学生たちでした。彼女たちの運動には当初、政治的な色合いはほとんどなかったと私は見ています。
 学生たちが問題にしたのは、厳しい受験戦争を乗り越えて、ようやく名門中の名門梨花女子大学に入学したのに、政府の主導で高卒で就職した者への門戸開放、生涯学習に対応した学部新設が梨花女子大学のレベルを下げてしまうということへの危機感からでした。学生たちの強い「エリート意識」「名門意識」があったがために起きた反対運動の色合いが濃かったからです。

 もう一つの要因としては、総長を始めとする大学首脳部はこうした学生たちの要求運動を甘く見ていた可能性があります。強い権限を持つ総長の上意下達方式は大学運営の揺るぎない方針となっていました。それに大学教員たちが「未来ライフ大学」を容認していたという自信から、学生の反対運動も抑え込むことができると判断したのでしょう。
 2016年7月28日に学生が学内デモを決行し、大学本館を占拠して座り込みを始めると、2日後の7月30日には、すぐさま監禁された教職員を救うという名目で、1,600人もの警官を学内に入れて、一気に鎮圧しようとしたことがそれをよく物語っています。

 また大学首脳部は学生たち(卒業生も含む)の「卒業証書返還要求」の意味もあまり深く捉えなかったようです。つまり学生たちの「エリート意識」「名門意識」が想像以上に堅固だったことへの配慮に欠けていたと思います。学生たちにとって高校卒業後、職業人となった人びとを安易に入学させるシステムが大学の金儲け主義と映り、伝統ある梨花という〝花園〟を土足で踏みにじる大学首脳部の暴挙と捉えたに違いありません。

 日本とは比較にならないほど、小学生時代から厳しく、過酷とも言えるほどの受験戦争に勝ち抜いてきた学生たちにとっては、明確な〝区別化〟は譲れなかったのでしょう。ただ私にはややもすると、傲慢な〝差別化〟につながる危険性も潜んでいると思っているのですが・・・。

 総長以下大学首脳部にとって大学の安定的運営の確保はなんといっても最重要課題ですから、政府からの財政支援事業には大いに魅力を感じるのは当然です。一方、学生たちからすれば、大学の授業や教授陣、さらに大学としての伝統、気風、価値観といったものの方が大事であり、その一員である誇りを守りたかったはずなのです。

 さらに今回の騒動を大きくした要因は、大学校舎占拠の学生200人ほどに対して1,600人の警官を投入したこと、社会から「過剰鎮圧」の声があがったことなどでしょう。その結果、大学首脳部の予測を完全に覆して、火に油を注ぐ結果となってしまったのだと思います。
 きっかけは「未来ライフ大学」でしたが、これまではいわば〝サイレントマジョリティ〟として、多くの学生たちはじっと耐え、鬱積させてきていた大学の政策に対する不満を一気に爆発させてしまったのです。

 「未来ライフ大学」の撤回と総長辞任を求める学生たちの活動は賛同者を一気に増やし、デモ参加者も増え続け、8月3日には崔京姫(チェ・ギョンヒ、최경희)総長が計画撤回を表明するしかなくなりました。でもこの時点では、総長はみずからの辞任は回避できると考えていた節があります。
 しかし梨花女子大学の紛争は当初の問題にさらなる火種が投げ込まれることになりました。それは朴槿恵(パク・クネ)大統領と個人的に強い関わりのあったチェ・スンシル(최순실)氏の国政介入事件に絡んで、彼女の娘であるチョン・ユラ(정유라)氏が梨花女子大学に「入学や単位で特別な待遇を受けていたのでは」という疑惑が一気に広がり始めたからでした。

 この疑惑は、チョン・ユラ氏が梨花女子大学体育教育科の乗馬特技生として合格したときからすでにくすぶり始めていたことでした。しかも合格時に彼女は「能力がないなら自分の親を恨め。金も実力だ」とSNS(Social Network Service)に書き込んでいたことが改めて広がり、学生たちを激怒、硬化させる形になってしまいました。

 こうして総長批判は単に「未来ライフ大学」設置反対運動だけでなく、不正入学、特別待遇を許した総長の責任追及、真相究明要求、そしてより強固な辞任要求へと広がっていったのでした。学生たちの態度硬化は8月26日の後期卒業式で、登壇した総長に「総長辞任」の声を投げつけ、総長が祝辞を述べられなくなるほど場内騒然となってしまったことに象徴的に現れていました。

 10月に入ると、さすがに教員たちも次第に声を上げ始めるようになりました。そして10月19日15時30分から不正入学、特別待遇疑惑に対して100人規模の教員による総長解任要求の集会が開かれることが事前に告知されました。これは梨花女子大学開設以来、初めてのことでした。大学側はその2日前の10月17日にチョン・ユラ氏の入学には特別な待遇はなかったと発表し、総長の辞任はないとしていましたが、10月19日、教員集会が開かれるおよそ1時間半前に、ついに崔京姫(チェ・ギョンヒ)総長が辞意を表明するに至ったのでした。

 昨年7月末からの梨花女子大学紛争を追ってみますと、確かに排除すべき対象を排除することに成功したと言えるようです。でもそれで終わってはいけないのでしょう。

 次の文章は2017年3月12日の『中央日報』(日本語版)に掲載された、パク・クネ大統領に罷免の決定が下された際の記事です。ただよく読んでみますと、その一部分は今回の梨花女子大学の紛争にも当てはまる点があるように思えて仕方ありません。

 「こうした運命を事前に防ぐ機会が十分にあったというのもまた事実だ。聞く耳を持ち 世論をもう少し慎重に聴取して従っていたならこうした衝撃的な政治的・司法的悲劇はいくらでも避けることができただろう。
 (中略)
 大きな問題はこれからだ。朴前大統領の不幸な前轍を踏まないためには再び法治に失敗した大統領が出てきてはならないだろう。だが、いまこの時点で率直に話せば今後大韓民国の民主主義の歴史にこうしたことが繰り返されないという確信は立たない」

 「国民」を「教職員・学生」、「朴前大統領」を「前崔京姫総長」、「大韓民国」を「梨花女子大学」に置き替えて読めば、教職員、そして学生が今後はそれぞれ何に取り組むべきかが見えてくるようです。

 (大妻女子大学准教授)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧