【コラム】槿と桜(13)

生年月日修正申告増現象

延 恩株


 ここ数年、韓国では自分の生年月日を修正申告する人が増えてきています。
 しかもこうした人びとには一つの特徴があります。それは1957年生まれとして戸籍に記載されている人たちが圧倒的に多くなっているのです。日本でも、まれにはあるようです(たとえば国籍を変更する際に記載事項が違っていることがわかる)が、韓国のこのような事例はおそらく皆無だろうと考えられます。いったい韓国では何が起きているというのでしょうか。

 この謎解きをするためには、まず韓国の定年制度について見ておく必要がありそうです。企業に勤めた者が一定の年齢に達したら会社を辞めなければならない定年制度は韓国にもあります。ただし日本とは違って、韓国の定年制度は法律で決められているわけではありません。あくまでも60歳定年などは「努力義務」でしかないのです。そのため実際の定年年齢は52〜58歳位だといわれています。

 なぜかといいますと、かつて日本でもそうだったようですが、自主判断による退職が当然という考え方が浸透しているからです。
 「そろそろ会社を退職する時期かな」と考え始めるについては個人差があるようです。いちばん多いのは、職場の空気を感じ取って自分から退職を申し出るパターンです。それ以外では、辞める年齢は上司や先輩を見習って決める、あるいは昇進の可能性がない、なども理由のようです。さらに後輩のために席を譲るので職場を去るというのは、韓国の若者の厳しい就職難を反映しているとも受け取れます。

 いずれにしても定年年齢が明確に決められていないがために起きる、マイペースでは生きられれない“哀しき会社員”の姿が浮かび上がってきます。

 謎解きに必要な知識がもう一つあります。
 日本では戦後、1947〜1949年に急激に出生者数が伸びた時期がありました。第1次ベビーブームと言われる現象で、現在、これらの人びとは「団塊の世代」と呼ばれています。この世代の人たちも今や65歳以上となっていて、その多くが定年退職し、年金生活に入っているはずです。実は韓国でも同様のベビーブームが起きた時期がありました。

 ただ日本より遅く、朝鮮戦争(1950年6月〜1953年7月 韓国では「6・25戦争」(ユギオ チョンジェン)、あるいは「韓国戦争」(ハングック チョンジェン)終結後の1955〜1963年間に出生者数が大きく伸びました。日本の植民地支配が終わり、ようやく独立国家として歩み始めるかに見えた朝鮮半島は、今度は東西冷戦の主戦場と化してしまいました。国土は荒れ、人びとの生活が混乱する中で、まがりなりにも戦火が止んだのは、朝鮮半島が南北に分断されるという、現在までもなお朝鮮民族が背負い続けることになった重い未解決状況でした。

 荒廃した国土を立て直そうとする機運が生まれてくる中で、韓国のベビーブームが起きたことになります。このベビーブーム時期に誕生した人口は約734万人と言われていますから、韓国総人口の約15%近く(韓国の総人口はほぼ5000万人)を占めています。

 1955年生まれの人は今年60歳に、そして1963年生まれの人でも今年52歳になります。先述しましたように、韓国での暗黙の定年年齢が52〜58歳ですから、韓国版“団塊世代”も、ほぼ定年年齢になっていて、年金生活に入り始めている人も少なからずいるはずです。彼らは日本の団塊世代と同じく韓国の高度成長を支え、世界との経済競争の中を生き抜いてきただけに、自立意識が強いとも言われています。つまり老後は子どもたちの世話になるといった韓国の一般的な考え方を排除し、自分のことは自分の力で、それどころかいつまでも家族の支えになろうとする気持ちも強いと言われています。

 それではもう一つ、謎解きに必要な材料を示します。
 実は韓国政府は今から2年半ほど前の2013年4月30日に、労働者の定年を延長する「雇用上の年齢差別禁止および高齢者雇用促進法改正法」を国会で可決、成立させていました。これまでは努力義務だった60歳以上の定年を義務化するというもので、この改正法の実施があと半年後(2016年)に迫ってきているのです。ただし従業員300人未満の企業は2017年からですが。

 そしてこの定年延長法の成立に伴って、韓国の国民年金の受給開始年齢が段階的に引き上げられることも決定していて、2033年からはすべて65歳受給開始となります。この間、1953年〜1956年生まれの加入者は61歳、1957〜1960年生まれは62歳、1961〜1964年生まれは63歳からというように4歳刻みで、1969年生まれ以降の人は65歳にならないと国民年金を受給できないことになりました。

 これでもうおわかりのように定年延長、あるいは早期年金受給を目的としたと思われる生年月日の修正申告増が起きているのです。それではなぜ1957年生まれと戸籍に記載されている人が多いのでしょうか。1957年誕生者は今年58歳です。あくまでも平均的な統計数字で、絶対的数字ではありませんが、58歳は韓国の定年年齢の上限になっています。

 一方、2016年1月1日から60歳以上の定年が法律によって義務づけられます。つまりこの法律がなければ、1957年生まれの人は、2015年12月31日でしぶしぶでも職場を去ることになっていたはずです。たとえば生年月日が1957年12月31日として戸籍に記録されている人だったら、どうでしょう。ほんの数日、誕生日を遅らせただけで、定年が2年先に延びることが法律で保証されることになるのです。

 日本的に考えるなら、役所がそのような見え見えの修正申告など受け付けるはずもなく、逆に虚偽申告として罰せられる可能性さえあります。ところがこれまた日本的に考えるなら“悪魔の誘惑に負けた”と思われる行為が、韓国では違ってくるのです。もちろん生年月日の修正申告を役所に申請すれば、役所は当然、審査をします。でも決して“悪魔の誘惑に負けた”と決めつけるとは限らないのです。

 なぜなら朝鮮戦争休戦後の韓国社会の混乱は、ベビーブームが始まってからの数年間もまだ収束していませんでした。役所への出生日の届け出も曖昧で、役所の戸籍管理もかなりずさんな上に、立証資料も揃えられていない状況のままでした。そのため歴代の韓国政府はこの時期の戸籍訂正を認めてきていたわけです。

 しかしいくらベビーブーム時期に生まれたからといって、1955年生まれの人はすでに60歳になってしまっていますし、1960年代の人たちには年金や定年延長を念頭に置いた生年月日の修正申告はかなり無理があります。出生届のズレやブレを認める処置が取られているとはいっても、その年齢の幅はおのずと限定されてきます。結果として「1957年生まれ」がいちばん微妙であり、たとえ駆け込み修正申告であったとしても、一概に虚偽申告と決めつけられない人たちと言うことになります。

 こうして年金を早く受け取りたい「1957年生まれ」は、生年を1年早めて、1歳早く年金受給開始を実現し、退職を遅らせたい「1957年生まれ」は、生年を1年遅らせて退職年齢を2年先に延長することが可能になったというわけです。思わぬ副産物と言えるかもしれません。

 おそらくこの機に乗じて虚偽申告をしている人がいないとは言えないでしょう。もっともこの点については、今後の韓国政府の対応を見守るしかありません。
 ただ私としては、朝鮮戦争直後は韓国社会が混乱し、戸籍の管理すらきちんとできなかった時代であり、そのような時期に生まれた人びとが現在の韓国の国の基盤を必死に築き上げてきたという事実をきちんと受け止めなければならないと思っています。
 さらに言えば、こうした人びとが定年を迎える年齢に近づいて、収入激減がそこまで来ているにも関わらず、まだ自分たちの親やさらには子どもたちまでも扶養しなければならないという事実です。韓国の平均寿命が延びたこと、大学進学率が上がり、教育費の負担期間が長くなり、しかも大学新卒者たちの就職難などが大きく立ちはだかっているからです。
 もちろん自分たちの老後の生活もあります。日本より年金制度が充実していないことも老後の生活への不安を深刻化させていると思います。
 韓国の経済成長を1970年代から長く支えてきた韓国版“団塊世代”の人びとへの見返りが、こうした厳しい現実だという事実を知るにつけ、今回の相次ぐ生年月日修正申告について、あまり厳しい言葉を投げつけられなくなっている自分がいます。

 (筆者は大妻女子大学助教)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧