【書評】

『ウイリアム・モリスのマルクス主義』 井上 定彦

 ~マルクス、モリス、賢治そして東日本大震災から現代思想を考える~


 ウィリアム・モリスについては、アートとクラフトのひとつの有力な流れとし
てその道の方には知られているそうで、先年も日本を含めていくつかの国でモリ
スに関わる展示会が開催され好評だったそうです。モリスは芸術家であるだけで
なく社会主義者としての著作もあり、かつて堺利彦(枯川)が『ユートピアだよ
り』として訳出しています。
 
 モリスについてはエンゲルス流にいえば、空想的社会主義、ロマン主義的社会
主義として、いわゆるマルクス主義者からはあまり高い評価はあたえられてはお
りません。大内秀明さんは、もともとは宇野先生の後を襲って東北大学でマルク
ス経済学を講じた宇野経済学の泰斗ですが、活動の幅を次第に広げられ、知識情
報経済論、文化論そして宮澤賢治へ傾倒して独自の文化芸術論へと思考を深めて
こられました。

 さきには『賢治とモリスの環境芸術』(時潮社)をあらわし、私財を投じて
「賢治とモリスの館」を仙台からほど遠くない作並温泉につくられました。今回
はあらためてモリスとマルクス主義の関係を考えているとき、東日本大震災に遭
遇し、「生き方の問い直し」を迫られたとのことです。そのとき、モリスの「ユ
ートピアだより」にもででくる共同体社会主義の思想を、カール・マルクスにも
そのような思想と理論の側面があったことにあらためて着目されました。

 カール・マルクスは社会批判の出発点に資本主義における労働の疎外という視
点を置いていますが(初期マルクス)、それは裏返せば疎外されない労働・仕事
ができる社会をめざしていたといえるかもしれません。モリスの環境芸術、モリ
ス・グッズは、ロンドンから多少離れたコッツウォルズ地方のケルムスコット・
マナー(邸宅)の建築、庭園そして簡素で品格あるグッズにあらわれています。

 当時の印象派とならぶ象徴主義の芸術・「ラファエロ前派」の疎外されざる仕
事としてのクラフト活動・芸術活動に通ずるものだそうです。モリスはこれを独
自の社会主義論にむすびつけているわけです。つまり、この理解は、仕事は本来
は人間としての生きがいであり喜びであるはずだ、ということにも連動していま
す。これはカール・マルクスの思想の一側面、つまり労働疎外の世界である資本
主義に代わる、仕事や社会的活動がひとびとの生きがいになるような世界として
の「良き社会」への志向を感じさせるものでもあります。

大内さんはこの本で、20世紀のなかで強力な影響力をもっていたボルシェビ
ズムや唯物史観ではなく、自らも「共同体社会主義」という思想への共鳴を表明
しています。ご自身がロンドンで「マルクス詣で」をなさったころから、一方で
は宇野弘蔵先生のマルクス理解から、他方では大内先生ご自身の社会実践からの
人間理解によって、20世紀の思想世界の大半を覆った通俗的な「国家社会主義」
言説とは異なった「社会主義」の理解を示してはおられました。

これをモリスと賢治とむすびつけ、東日本大震災の体験から、本書をだされた
とのことです。明治の終わり頃には、おそらくは賢治やハーン等のかなりの日本
の知識人が読み考えたモリス、日本では戦後知られることに少なかったモリスは、
現代の文明論的視点から理解することもできるようです。
 
蛇足ですが、筆者はケルムスコットのマナー・ハウスについても近年まで知見
がありませんでした。ところが、ごく最近、ゼミ卒業生の結婚式に招かれていっ
た式場がこの地名を名乗り、建築、庭園のアートをそのままコピーしていること
に驚かされました。 新書版で読みやすく、現代を考えるよき素( もと) となる本
だと思いました。    (評者は島根県立大学教授)

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