脱原発運動を考える(A)

ニューズ・ウィーク誌に建設的議論がないといわれた脱原発運動の現在位置

濱田 幸生

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■「放射能が怖い」と叫んだだけの3年間
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「ニューズウィーク」誌(2月11日)のインタビューで、小出裕章氏はかつての「反原発運動」を簡単に振り返ってこう述べています。
「小出は長年、愛媛県の伊方原発の反対運動に参加していた。チェルノブイリ事故以降、そこにも『恐怖に駆られた』人々が押しかけたが、最後は古くからの活動家と軋轢を起こし、しばらくするといなくなった」(同)
私も小出氏と同時期に、この光景を見ています。氏とは面識こそありませんでしたが、誠実な科学者として長年尊敬していました。
氏の福島事故時の発言は許しがたいものですが、その反面、福島農業への優しい心配りをした数少ない脱原発運動家だったことも事実です。
彼の「私は福島の野菜を食べる」というひと言は、「東北の野菜を食べたら死にます」とテレビでニヤニヤしながら言い放った武田邦彦氏と同次元で扱うわけにはいきません。

このように書くとお分かりになると思いますが、若き日の私は、スリーマイル島事故の頃から反原発運動に関わっていました。
チェルノブイリ原発事故後、参加者は数十倍に膨れ上がりましたが続かずに、やがてそれぞれの狭い「島」に閉じこもるようにして分散して、熱を失っていきました。
かつての私もその流れの中で、有機農業を志して今に至っています。

さて、今回の福島事故は、私自身が「被曝地」の農民だったために、当事者としての現実的対応に追われました。
情報蒐集-測定-除染-風評被害対策などやるべきことは山積みされていました。
当時、幾度となくかつての反原発運動当時の友人たちから集会やデモに誘われましたが、気が進まないので一度も出かけませんでした。
口で「原発はいらない」といくら叫ぼうが、首相官邸に押しかけようが、私たちの土壌に降下した放射能はなくなるわけではありませんから。
東京でデモをするより、地元の地域で共同で放射能と戦う仲間作りをする方が、私には遥に意味があると思えたのです。
長期に渡る畑地や里山の観測体制作りと、現実的な原発をなくすための議論を原子力やエネルギー専門家の意見を聞きながら深めていくべきだと考えていました。

この時、私の前に立ちはだかったのは、皮肉にも東電でもなければ自民党でもなく、小出氏流にいえば「恐怖に駆られた」都市の住民たちの脱原発運動でした。
武田邦彦氏のような悪質な煽動家たちがばらまいたデマに踊らされた人々のむき出しの憎悪は、私たち農民に向けられていたのです。
彼らは口を揃えて、福島や茨城、宮城の農民をあたかも「敵」のように見立てて口汚く罵り、「農業をやめろ」「東日本は住めない」とさえ叫びました。
住めないですって?ならば、私たち土地の上で生きる民はどうしろと言うのですか?
彼らは「福島の子供を救え」と言いながら、実はそれは土地から離れて疎開し無人化しろという主張でした。
脱原発運動(の一部)は、あくまでその地を浄化して生き抜こうとする現地農民や漁民を敵にしてしまいました。
私は決定的に脱原発派と自称する人達と一緒にやれないと感じたのはこの時です。
脱原発運動と称するものは、単に都市住民だけが安全ならばいいというエゴイスティックな心情が肥大化しただけのものなのです。
これは後に続く震災瓦礫反対運動でいっそうはっきりした形を現します。

もちろん、福島の農民に対して支援をした団体、個人は多かったのですが、それは脱原発運動とは無関係な個人としての良心に基づいたものです。
「(反対運動の新規参加者は)原子力に反対なのではない。と小出は言う。自分のところに火の粉が降りかかるのを恐れているだけだ」(同)
「福島第1原発事故は 原発をめぐって理性的で建設的な議論を行うチャンスを日本に与えた。
地震国である日本で原発を立地するリスクは必ずある。100%の絶対的安全は存在しない。もちろん100%の絶対的危険もありえない。(略)しかしこの3年間、議論はまったく成熟してこなかった」(同)
私は、いくどとなく原発をなくすための具体的議論を呼びかけましたが、かつての友人たちはデモに忙しいようで反応はありませんでした。
むしろ放射能汚染した農産物探しに忙しいとみえて、私の土壌や水の除染の技術、あるいは5年先、10年先のエネルギーのあり方などの「暇な議論」になどつきあってはいられない風情だったようです。

こうして私は、徐々に今まで関わってきた脱原発から決別していきました。離れるに連れて、傲慢なようですが、私には彼らの行き先が見えるようになってきました。
一時的に燃え上がり大勢の人が参加するが、肝心な脱原発の具体策の議論がないままに内部抗争とセクト化の道をたどって孤立化し分裂していくだろうという暗い未来です。
そして孤立化した少数派は、いっそう閉鎖的になり、立場の違う人達の意見を排除しようとします。結果、さらに孤立化が深まり過激化していきます。
残念ながら、この私の脱原発運動に対する予想は、今の時点でおおよそ当ってしまったようです。
この人達は、脱原発の行程が極めて長いものであり、その過程で過渡的に規制委員会の安全審査をパスした原発を動かす選択肢もありえるということに頑として耳を貸しませんでした。
いつまでも、「再稼働反対」と叫んでこの場所に座り込んでさえいれば運動になるかのような判断停止、知的怠惰です。
このような姿勢からは山本太郎氏のようなピュアで先鋭にしてバイアスがかかった人物は生まれるでしょうが、ほんとうに現実が変わることはありません。

私は、小泉氏が突如として舞台に駆け上ったとき、あるいはなんらかの具体案のデッサンでもあるのかと期待しました。
彼が最初にオンカロと口走った時には、一瞬おお、と思ったものです。フィンランド方式は私が温めているもっとも有力なプランだったからです。
もし、粗削りでもそれがあるなら、今の硬直化して左翼運動の亜種に堕っしてしまった脱原発運動にいい刺激になるだろうと思ったのです。
ところが、やはり小泉氏は歳ふりても小泉氏でした。あいかわらず天才的漫談師ですが、中身はなにもないのです。
オンカロも真逆にねじ曲げて解釈しているのですから、むしろたちが悪いようなものです。

小泉氏が「目覚めた」オンカロについてニューズウィーク誌はこう書いています。
「脱原発で語られることの多いオンカロだが、フィンランドの経験から読み解くべきなのは、エネルギー政策に対するコンセンサスを導き出した国民の建設的な議論だ」。(同)
「(オンカロの街の住民は)原発のメリットとデメリットを冷静にとらえた上で、最終的に処分場を受け入れる判断をしている」(同)
「(小泉の)「独善」はフィンランドの国民的議論の対局にある」(同)
小泉-細川陣営は、ムード的脱原発を叫び、宇都宮陣営はよくある「放射能怖い」を叫ぶだけという不毛な構図こそが、事故から3年たとうとしている脱原発運動のただ今現在の位置なのです。

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■宇都宮けんじ候補はほんとうに「弱者の味方」だったのか?
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宇都宮けんじ候補は、都知事になったら東北の震災瓦礫を拒否するそうです。
福島事故の直後のパニック期ならわからないではありませんが、あれからそろそろ3年たって正確なデータが出揃ってきています。
そんな時に、脱原発運動の中でもっとも国民の顰蹙を買った瓦礫反対運動の口写しをしています。
ところで、東北の震災瓦礫を真っ先に引き受けたのは東京都でした。私は石原氏の数少ない善政だったと思っています。石原氏の独善的な性格がプラスに働いた希有なケースです。(褒めているんだか、けなしているんだか)

この東京都の瓦礫引き受けが呼び水となって、千葉県、栃木県、茨城県、北九州市、大阪市などが続きました。
震災瓦礫の処分協力を要請していたのは、岩手県と宮城県のみでした。
もっとも高い汚染を受けてしまった福島県は県内処分しており他県に要請する意思はありません。
岩手、宮城県もほぼ被曝を受けていない地域で、ピンポイント的に被曝したのは一関市のみですが、同市は震災瓦礫の協力要請はしていません。
では、岩手県における震災瓦礫の焼却実証実験のデータを東京都、神奈川県の下水汚泥と比較します。

・岩手県震災瓦礫焼却灰の放射性セシウム濃度・・・133ベクレル/㎏
この岩手県の133ベクレルが、国の基準値より高いと反対運動の人たちが言い出した時に私はびっくりしました。比較しているのが食品基準だからです。
この人たちは瓦礫を食べるのでしょうか。比較するなら、瓦礫焼却後に出る下水処理施設の焼却灰や汚泥でしょう。そこで、東京都と神奈川県の搬入前のデータを見ます。

・東京都下水処理施設の焼却灰       ・・・・2000~1万ベクレル/㎏
・神奈川県下水道汚泥放射線量       ・・・・1024
東京都と神奈川県の下水汚泥のほうが、岩手県震災瓦礫よりはるかに高い放射線量なのがわかります。
これは、東京の東葛地域などが被曝したために、放射性物質が側溝から下水処理施設に移行して蓄積したからです。
1000ベクレル超の下水道汚泥を抱え込んでいる東京都や神奈川県の住民が、その10分の1以下の瓦礫の搬入を断固阻止と騒ぐ笑えない構図です。

もうひとつ。震災瓦礫を受け入れた北九州市は、搬入前と後の計測データを公開しています。

●ごみ搬入車両      ・・・0.05(0.05~0.05)μSv
・バックグラウンド    ・・・0.05
・主灰(焼却灰)搬出車両  ・・・0.05(0.05~0.07)
・バックグラウンド    ・・・0.06
●皇后崎工場
・飛灰(ばいじん)搬出車両 ・・・0.06(0.05~0.07)
・バックグラウンド    ・・・0.06

ご覧のように、「バックグラウンド」と表記された焼却場近辺の空間線量にはまったく変化ありません。あたりまです。元々放射能なんてなかったんですから。
それを現地で事前に測り、それをクリアしたものが入ってきくるのですから当然の結果です。
そもそも、放射性瓦礫(正確にいえば低レベル放射性廃棄物)と、震災による一般瓦礫を意図的に混同して、低レベル放射性廃棄物を全国にバラ撒いているというすり替えをしているからおかしくなったのです。
それでも反対運動をしている人たちは頭痛がする、鼻血が出るなどという「実害」を訴えていますが、心理的な原因以外には中国からの黄砂の硫酸エアロゾルによる可能性があります。
瓦礫焼却時に北九州市などは、大陸からのPM2.5を付着させた黄砂が飛来していました。

私はこの震災瓦礫搬入阻止運動は、岩手県、宮城県といった被災地に対する根拠のない蔑視、あまり使いたくない言葉ですが「差別」だと思っています。
この反対運動は、被災地と非被災地に分断をもたらし、復興を物理的にも精神的にも妨害している人間として恥ずかしい運動です。
その姿は、まるで『はだしのゲン』に出てくる「ピカが移る」と被爆者を差別したエゴむき出しの人々に重なります。
実際事故の後、福島からの避難者の子供が放射能がうつる」と苛められたケースが多発したことがありました。
宇都宮氏の主張は、部分的には私の考えに近いものがありますが、「脱原発」をメーンテーマに掲げた以上、これではあまりに無残と言わざるを得ません。
こんな震災瓦礫搬入阻止を東京都知事選挙の公約に掲げる宇都宮けんじ候補は、ほんとうに「弱者の味方」なのでしょうか?

宇都宮さん、本気で原発と戦うつもりなら、あなたの公約によって再びの打撃を受ける可能性がある私たち福島や茨城の農村に足を運んで下さい。
そうすれば都市消費者と、私たちのとらえ方の違いに気がつくでしょう。
脱原発は、都市住民の思いだけではできません。東京から発信といいますが、地方は白けています。
なぜでしょうか、それはあなた方が都市のエゴを「発信」しているからです。宇都宮さんたちはこのように主張しています。
自分の住む東京は原発は欲しくない。それは危ないからだ。危ないから東京から離して設置してくれ。事故が起きたらその地方のものは、瓦礫だろうと食糧だろうと一片たりとも入れない。
私はこのようなエゴの場になってしまった脱原発運動を哀しみます。

宇都宮さん、この原子力問題はあなたが名を上げたカードローン問題とは違って複雑です。一方にサラ金=悪があり、一方に被害者=善という単純な図式は成り立ちません。
お聞きします。私たち被爆地の農民は「悪」ですか?そこから出る瓦礫は「悪」ですか?私たちの農産物や海産物は「悪」ですか?
早川由紀夫群馬大教授は、私たちを名指しで「社会に毒を撒くテロリスト」と決めつけました。あなたもそうなのでしょうか?
今のあなたは、私には「弱者の味方」どころか、エゴイスティックな都市住民の代表にしか見えません。

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■山本太郎氏「意見が違うものはあちら側に行け」
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さて、この脱原発運動の現状の象徴的人物が山本太郎氏なことは論を待たないでしょう。
私は山本太郎氏という人物を、決して嫌いではありませんでした。
女の子の尻を追うのが好きで、デカイ図体で隙だらけ、天皇に直訴する意味も知らない猪突猛進の「愛すべき野人」といった彼の姿を微苦笑で眺めていました。
しかし、この「ニューズウィーク」誌(2014年2月11日号)の彼の発言を知ると、そうとも言っていられなくなりました。

山本太郎氏はこう述べています。
「脱原発派だけどTPP賛成というのは嘘つき」「TPP推進派は『向こう』に行ってくれたらいい。逆に『こちら』の空気を醸し出しながら中立を装うのが一番怖い。それでは第2、第3の自民党だ」(同)
小出裕章氏も、「原発はTPP、戦争、沖縄問題すべてにつながっている」(同)と似たようなことを言っているようです。
う~ん小出さん、おっしゃりたいことはわからないではないんですが、そんなことを言うと、共産党支持者じゃないと、脱原発運動に参加できなくなっちゃいますよ。
ただ小出氏はその穏やかな人柄もあって、山本氏のように「向こう側に行け」というような極端な言い方はしていません。

すごいのは山本太郎氏のほうです。ひとつ違った意見があれば、「向こう側に行け」ですか・・・。
私は運動とは仲間作りだと思っていましたが、山本氏にとってはどうやら真逆なようで、運動とは仲間減らし・純化運動だというのです。
山本氏がこういうこと言う人だったんだぁと一驚しました。
なんだァ、もう少し愉快な奴かと思っていましたよ。これじゃあ昔の過激セクトと一緒じゃないですか。

70年安保世代が少し補足解説しましょう。
山本太郎氏の考え方は、彼自身が意識しているかどうか知りませんが、マルクス・レーニン主義組織論がベースにあります。
ML主義では絶対的正義は自分(革命党)のみが所有し、中間的な考え方を一切認めません。
元々マルクス主義がキリスト教神学の唯物論的読み替えから始まったために、すこぶる一神教的非寛容な体質です。
敵か味方か、正統か異端かの二分法しかなく、それ以外は獲得されて指導されるべき「大衆」か、打倒すべき「向こう側」、すなわち「敵」なのです。

脱原発運動のような「大衆運動」の場合、運動のイニシャチブを握って他党派に勝利し、ひとりでも多くの人を「こちら側」に引き込み、党勢拡大を目指します。
先ほど、純化・仲間減らし運動と書きましたが、ML主義では純化の過程で一部の決意した「革命派」エリートが生まれ、それが「党」を作って大衆を「革命」へと指導するんだと考えます。
多様な価値観を前提とする民主主義とは本質的に相いれない思想ですが、それが軽いタレントだった山本太郎氏の口から確信をもって吐き出されるとは思いもかけませんでした。
朱に交われば赤くなるとはよく言ったものです。
私は、山本氏の陰には過激派のC派がいて、選挙マシーンとなっているというネットの噂をあまり信じていませんでしたが、どうもほんとうみたいな気がしてきました。

C派は、70年代に内ゲバ戦争で436人の死傷者を出し、うち殺害43名という屍の山を築いた過去を持つ極左組織です。(Wikipediaによる)
私の知人にも、なんの関係もないのにC派の「誤爆」を受けて、鋭い鈍器で頭部を強打されて植物人間にされた者がいます。
実行犯は同じ大学のC派の学生だったそうですが、法廷で始終薄ら笑いを浮かべていたそうです。
彼は50代まで結婚はおろか仕事にもつけず、苦しみ抜いて自殺まで図りました。
このような者は「あの時代」無数に出ました。C派はその狂気の中心にいました。
C派の山本氏支持声明を改めて読むと、そのアナクロな絶叫調が少しも変わっていないことに驚かされます。

あのあまりにも有名な飯田哲也氏も、この「『こちら』の空気を醸し出しながら中立を装うのが一番怖い」人物というレンテルを貼られてしまったようです。
「脱原発派科学者の筆頭だった飯田でさえ自然エネルギーの穏やかな転換をとなえただけで隠れ推進派として攻撃される。
『最初はみんな熱く盛り上がるが、熱が冷めて自分たちが少数派になるにつれ、運動が純化し極論に寄ってしまう』と、飯田は言う。『連合赤軍現象だ』」(同)
連合赤軍とはすごい比喩ですが、今の脱原発運動の行き詰まり感を、そう感じたんだろうな、と妙に納得してしまいました。

連合赤軍事件とは、若い方は知らない人も多いでしょうが、70年安保闘争の後退期に起きた12名もの仲間を惨殺するという忌まわしいリンチ殺人事件のことです。
私たちの世代にとって、忘れたくても忘れられない地獄のような事件でした。この事件を機にして70年安保闘争は完全に崩壊しました。

私が今の脱原発運動に対して既視感があるのはこのためです。
飯田氏は私より若い世代ですが、当時の大学紛争後の荒廃した空気を知っているのかもしれません。
彼はそれがいやで北欧に行き、日本の陰湿な空気とは違う開放的なエネルギー・デモクラットの運動に共鳴したのでしょう。
飯田氏には功罪かありますが、脱原発の軸に再エネを掲げたことは議論のたたき台作りとして大きな業績だったと思っています。

私は当初から飯田氏の再エネ路線を批判してきましたが、ひとつの具体的提案であることは充分に評価したうえでの「仲間としての批判」のつもりです。
「仲間としての批判」というのは、目標は一緒だが、やり方が違う。だから議論をする。批判はするが、相手を「同じ方向を見ている仲間」と認めた上でする、それがルールです。
脱原発派は、放射能に対する「火の粉を払う」議論ばかりで、肝心な「いかにしてなくすか」という具体論が大きく欠落していました。
私が知る限り、脱原発運動内部の具体論は、彼の主唱したドイツ仕込みの方法論だけだったはずです。
そして飯田氏は嘉田氏と共に、未来の党を作って脱原発をテーマにして選挙を戦いました。
「だが彼らには風は吹かなかった。(略)当選した山本との差は脱原発に純化したかどうかの差に思える。ただし、運動が『純化』し、『先鋭化』すればするほど、一般市民との距離は拡がり、すそ野は狭くなる。純化と同時にセクト化も進んでいる。」(同)

おそらく飯田氏は、簡単に「原発即時ゼロ」は言えなかったはずです。なぜなら、エネルギーの専門家としてそんなことは不可能だと知っていたはずたからです。
代替を再エネとした論理を立てた以上、簡単に火力との腐れ縁が解消されないことも、蓄電池技術がネックなことも、送電網が決定的に不足することも、予測できたはずです。
だから、飯田氏は広域スマートグリッドを提唱したのです。だがそれも建設まで長期の時間とコストがかかります。

というわけで、再エネがいきなり全部の代替エネルギー源になることはありえません。代替として2割に達することすら難しいでしょう。
ドイツでさえ、巨額な国費をかけて十数年かけてようやく20%に達し、あと数十年かけてようやく60%になる遠大な目標を立てています。
つまり時間がかかります。この移行のための過渡期的期間がいるのです。山本氏のような脱原発過激派はこれを断じて認めようとしませんでした。
なぜなら、今のドイツが半数の6基残しているように、過渡期においては一定数の原発は社会インフラ維持のために残らざるをえないからです。
仮に全原発が停止した場合、代替は今の日本のように9割が火力に頼るしかありません。

そうなった場合、電気料金は値上がり、大停電の恐怖に脅えながら二酸化炭素の排出権売買でいっそう国富は減り続け、国民経済は疲弊します。
だから時間をかけて移行しないと、社会的ストレスが厖大にかかってしまいます。
一方脱原発過激派は、具体論を必要としません。いやむしろそんな具体論などは日和見主義であって、「原発残存に道を開く隠れ推進派」くらいに考えています。
実現可能か不可能かなどと考える思考形態自体が既に、「第2自民」だというのです。
なまじな具体案など示せば、「向こう側」=敵の土俵上で相撲を取らざるをえないことを恐怖しています。
本来は「向こう側」の土俵、言い換えれば現実のフィールドで政策論として争わなければ脱原発など実現するわけないのに、脱原発過激派はエネルギーの専門知識を持った人材もいなければ学習意欲すらないのです。
それが故に、脱原発過激派にとって飯田哲也氏など具体案を出す輩は、「隠れ原発推進派」で粉砕の対象なのです。

なぜ一時期の脱原発運動のアイコンだった飯田氏までが、今や「隠れ原発推進派」と呼ばれ「打倒対象」になったのか、これでお分かりにいただけたかと思います。
とうぜんこのような純化した人たちは、同じ脱原発をテーマに掲げていても、他者の意見や、立場が違う運動を認めませんから、そこかしこで摩擦を起こします。
「挙げ句の果てに運動の『セクト化』が進み、互いを罵る悪循環に陥った。まるで革命を目指しながら、内部分裂と暴力で崩壊した連合赤軍のようだ」(同)
あるいは、福島県出身の社会学者関沼博氏の表現を使えば、「あたかも宗教紛争のようだ」(同)ということになります。

もちろんそんな純化運動をしてみたところで、現実に原発がなくなるわけはないのは、あの藤波心さんもよく理解しています。
彼女すら「原発推進派」と誹謗されたことを話しています。
「事故当時は女子中学生で、運動参加者から脱原発アイドルと呼ばれる藤波心も『なぜか原発推進派』と批判されたことがある。『こだわりすぎて自分の活動に酔いしれるだけでは原発はなくならない』と藤波は指摘する」(同)
純粋な藤波さんには気の毒ですが、あなたを誹謗した脱原発過激派は、「原発はなくならない」ということなどとうに折り込み済みなはずです。
原発がなくならない限り運動対象は不滅ですし、なくならない以上永遠に脱原発運動も組織も存在価値があり、党勢拡大の手段になると思っているからです。

結局、飯田哲也氏や私のように、時間をかけても本気で原発をなくそうと考えるような人間は「向こう側」であり、結局「隠れ原発推進派」であって、つまりは「敵」なのです。
このような「向こう側」と「こちら側」を線引きして、原発、安保、沖縄問題、TPPすべてが一致できない限り「向こう側」という発想に脱原発運動は陥っています。
山本氏の明るく真摯な外見に惹かれて脱原発運動に入ったとしても、すべてのテーマで意見が一致するはずがありません。また、する必要もない。
あくまでも脱原発をいろいろな知恵を絞りながら考えていけばいいので、その中には自民党支持者がいてもいいし、共産党支持者がいてもいいでしょう。
いや、むしろ自民党政権の中に具体的に脱原発を構想する人が出てくれば、ほんとうに脱原発の流れは進展するでしょう。

実際、脱原発運動がいちばん盛んだった頃には、自民党支持者も大勢デモに駆けつけたではありませんか。そうなってこそほんとうの「国民運動」なのです。
それぞれの立場で、それぞれの考えを大事にして、少しずつでも原子力に頼らない社会をめざして行くべきです。
「まず『向こう』と『こちら』と線引きして敵味方を分け、相手ばかりではなく『妥協は悪』とばかりに自分の仲間までを攻撃する。『空気』に左右され、熱狂と忘却を繰り返す」(同)ような不毛な争いは止めにしませんか。
どうしてこんなあたりまえのことを繰り返し説かねばならないのか、私にはそれが口惜しくてなりません。

 (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)


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